全壊した家、傾いた電柱、積みあがるがれき――。能登半島地震から半年が過ぎても、被災地では痛ましい街並みがそのままとなっていた。
J-CASTニュースは2024年6月下旬、石川県珠洲市を取材。目の前に広がる「時が止まったような光景」は、まるで置き去りにされたような悲しさが漂った。
放置された家、隆起したマンホール
珠洲市中心部から車で10分ほど、宝立(ほうりゅう)町鵜飼、春日野両地区を歩いた。24年元日の能登半島地震で多くの家屋が損壊し、津波にも襲われた地域だ。道路の両側に立ち並んでいた住宅は、崩れたままの状態が多い。完全につぶれたうえ放置されていたり、建材で使われていたと思われる木材が雑に積み上げられていたりして、見ていて心が痛む。時折見られた空き地は、損壊した家を解体した跡地のようだ。
住宅が比較的多かった地域のはずが、人の気配を全く感じない。住民は避難生活から戻って来られないのだ。家の片づけをしている人影を、1人2人見かけた程度。道路は交通上、大きな支障はないが、マンホールが隆起したままになっているなど地震の爪痕は残っている。
能登半島地震では、地形上の特色が被災者支援に大きく影響した。半島の先端部に近い珠洲市や輪島市といった「奥能登」は、陸路によるアクセスの選択肢が少ない。そこに地震であちこち土砂崩れや崩落、亀裂が起き、被災地までの道路網が寸断されて、物流・人流に著しく支障が出た。半年で道路状況は改善したが、石川県の最大都市・金沢市からは今もバスで3時間以上かかる。
珠洲市はいまだに宿泊施設が乏しい。ボランティアは長時間作業したいのに、「日帰り」となると、金沢などとの往復に時間をとられる。さらに、地元の工事業者がもともと少ない。徐々に解決に向かってはいるが、複合的な事情が、復旧活動の足かせとなっているようだ。