東京の名所となった東京スカイツリーは2012年5月に開業、2024年5月には12周年を迎えた。
2023年9月末までに来訪者の総数は4550万人、東京の新名所として定着した。そのタワーはどうやって建てられたか、技術的な工夫、アイディアを当時の現場責任者に聞いた貴重な証言、記録が残っている。
J-CASTニュース内で過去に連載した「J-CASTスカイツリーウォッチ」のうち、スカイツリー建設に携わる人々にプロジェクトの舞台裏を聞く連載企画を再掲載します。
(註)インタビューした方々の年齢、肩書きは、開業当時のままを掲載させていただきます。
【東京スカイツリー建設の技術】第4回:高度な技術を持つ溶接工を最大で50人集める
東京スカイツリーのプロジェクトは、大林組にとっても大きな仕事であり、新しい挑戦である。社内のチーム作りは全社的な視点でスタートした。
まず、生産技術部や設計部、特殊工法部、技術研究所など、全社から各専門分野のスペシャリストが集められ、プロジェクトが立ち上がった。
現場のチーム編成も工事の計画段階から検討されていた。社内から鉄塔や高層ビルの経験者などを含む優秀な技術者が幅広く集められ、タワー街区だけで約80人のチームが結成されることとなった。
高い技術を持つ作業員の確保も必須だった。
タワーは、下が三角形で上部に行くに従い円形に変化していくデザインだ。同じ平面形状はなく途中で外観が変わり、構造的にも複雑である。鉄塔なので鉄骨工事の比重が大きい。高強度の鋼材を使用するので、溶接の難易度が高く、高度な溶接技術を持つ作業員を集めなければならない。
実際にスカイツリー仕様の鉄骨を用いて、溶接技術に関する技量試験が行なわれたほどだ。最盛期には約50人もの溶接作業員を集める必要があった。
鳶工は、鉄塔や超高層ビル工事経験者を集め、3箇所あるスカイツリー足元の各鼎に約30人ずつ配置した。他にも、ボルトなどを締める鍛冶工、測量をする者、メンテナンス用の通路を鉄骨に合わせて組み立てる者、塗装工、外装専門業者など、さまざまな職種の優秀な作業員を工事の着手前から手配する必要があった。
これら、優れた技術者や作業員を確保する目処をつけたうえで、3年半に及ぶ建設がはじまったのだ。(続く)