台湾出身のタレント、真楪伶(まちゃりん)さん(27)は2024年2月、約8年間にわたって活動したAKB48を卒業し、新たな1歩を踏み出した。その1週間後にはXで「卒業旅行」に出かけたことを明かし、その2日後には「順調です」という一言とともに「本日のメイク」を紹介。一部のファンの間では「匂わせ」だと話題になっていた。
実はこの「卒業旅行」は、初の写真集「真楪伶1st 写真集 奇跡と出会った瞬間(とき)」(KADOKAWA)を撮影するためだった。3日間で撮影したのは約2万枚。1週間ほどかけて、採用する写真を選んだ。卒業を機に、本名の「馬嘉伶」から、同じ読みの今の芸名に改名。写真集や新たな名前には、アイドルから心機一転、タレントとしての本格的な活動に乗り出す決意も込めたという。7月11日の出版を前に、写真集に込めた思いや、新たな活動への意気込みを聞いた。(聞き手・構成:J-CASTニュース編集委員 兼 副編集長 工藤博司)
AKB48時代は「おったまげ~!」のインパクトが強かった
―― AKB48では唯一の外国人メンバーとして知られていました。かつて出演していた「AKBINGO!」(日本テレビ)などで披露していたキャッチフレーズ「おったまげ~!」のインパクトが強く、バラエティー番組や舞台での活躍が多いという印象でした。写真集は念願だったのですか。
真楪伶: 写真がすごく好きで、自分のことを記録してくれる写真の作品が欲しいと思っていました。写真集を出すのは、ひとつの夢でした。
―― 23年11月の卒業発表に近いタイミングで出版が決まったと聞きました。
真楪伶: 卒業発表する劇場公演の日程が決まったタイミングでした。この日は、朝に卒業発表の日程が決まって、午後は取材があると言われて、ここ(編注:取材に応じているKADOKAWAのオフィス)に来たのですが、そのタイミングで写真集のお話をしていただきました。この2つが重なることは、奇跡だと感じました。
―― 写真集のタイトルは「奇跡と出会った瞬間(とき)」。真楪伶さんが自分でつけたタイトルだと聞きましたが、この写真集が実現したのも奇跡、ということですね。
真楪伶: この写真集の撮影は、ちょうどAKB48を卒業したタイミングでした。振り返ってみると、AKB48に入ったことも、本当に奇跡みたいなものでした。普通であれば、1回オーディションに落ちたとしても次のオーディション......と、何回も挑戦する機会があると思います。ですが......。
インドネシア・バリ島で3日かけて撮影
―― 確かに真楪伶さんは、他のメンバーとは大きく異なる経緯でAKB48に加入しています。15年8月に「AKB48台湾オーディション」に合格し、台湾でのレッスンなどを経て16年2月に来日。後に劇場デビューしました。その後、18年発売のシングル「ジャーバージャ」では、27人いた「選抜メンバー」のひとりに選ばれました。
真楪伶: 日本在住ではなかったので、最初は挑戦するチャンスもいただけず、AKB48に入る夢は一生実現できないだろうと思っていました。ところが、唯一の海外オーディションが台湾。この時点で奇跡ですし、何の強みもない自分が最後まで残って、1人だけ選ばれたことも奇跡だと感じました。振り返ってみたら、AKB48での活動は本当に奇跡だと感じました。卒業と同時に改名したのですが、新しい名前にも「キセキ」って書いてあるんですよ!
―― 「楪」を部首ごとに分解すると「木世木=キセキ=奇跡」と......。
真楪伶: そうです!卒業して新しい奇跡が始まったと感じているので、タイトルには絶対に「奇跡」を入れたいと思っていました。
―― 卒業公演は2月20日。その1週間後の2月27日にはXに「卒業旅行、行ってきます」と投稿しています。これがロケだったわけですね。卒業旅行なら一人旅か友人と一緒かな?と思っていましたが、2月29日の投稿では「順調です」という一言とともに「本日のメイク」を紹介していたので、ちょっと不思議だったんですよね......!
真楪伶: 実は6人いました。(笑)
―― 「卒業旅行」は5日間で、移動を除くと撮影期間は実質3日間だったと聞きました。行き先はインドネシア・バリ島。これは少し意外な気がしました。国内の風光明媚なスポットや、それ以外にも例えば、ふるさとの台湾などいろいろ候補はあると思いますが、どういう経緯で決まったのでしょうか。
真楪伶: KADOKAWAさんからご提案いただきました。行ったことがなくて、どんな場所かも分からなかったのですが、調べてみたらすごくきれいな場所だと思いました。私にとって、本当に新しいスタートのタイミングなので、行ったことのない国に行って、見たことがない風景を見て、食べたことがない食べ物を食べて......本当に新鮮で、新しいスタートを切ることができると思いました。
KADOKAWA編集者: 改名もされましたし、「新しいスタートを新しいところで」ということですね。
真楪伶: 今になって思うと、本当にありがたいご提案でした。コロナ禍もあって、最近海外で撮影しているAKB48のメンバーは本当に少ないです。シンガポールでのトランジット(乗り継ぎ)を含めると、飛行機で10時間もかかる遠い場所で撮影できたのは貴重でした。
―― バリ島はビーチの印象が強いですが、いろいろな側面があります。観光スポットとして有名なクタビーチ、山間部で熱帯雨林が広がるウブド、おしゃれな町として注目度が上がっているチャングーの、大きく3か所で撮影したと聞きました。現地でやりたいことや、事前にリクエストしたことはありましたか。
真楪伶: きれいなリゾートで、朝日、光が入る場所で撮りたい、といったお願いはしました。敏腕編集者がおられるので、基本的には「お任せ」でした......!(笑)
骨盤がアピールポイント、でも「顔が写っていないと写真集にならない」
―― 印象に残ったカットはありますか。
真楪伶: プールサイドで撮った表紙の写真がひとつ。それと私、チャームポイントがあるんですよ。骨盤です。AKB48時代は「チームAの馬嘉伶です!」と自己紹介していたのですが、チーム制度がなくなって新しいキャッチフレーズを考えよう、となったときに、「骨盤きれい、馬嘉伶です!」と言おうとしたくらいです。結局、このキャッチフレーズにはしなかったんですけど......。それくらい骨盤がきれいなんですよ。でも人に見せる機会がなく、自分だけが綺麗と思っていました。なので、今回の写真集は是非見せたい、と思っていました。
―― そのようにリクエストされたわけですね。水着や下着じゃないと骨盤見せられませんからね。
真楪伶: 顔は(写さなくて)いいので、私の骨盤だけ撮ってください!って......。
KADOKAWA編集者: 顔が写っていないと写真集にならないのですが......。
真楪伶: (色校を手に)こちらです。
―― なるほどなるほど......!
真楪伶: ええ~!リアクション薄い!撮影のときもそうでした。カメラマンさんに「骨盤きれいと思わないですか?」と聞いても「あー、うん。きれい」みたいな感じで......!!
KADOKAWA編集者: 男性のリアクションは、そういうものです。(苦笑)
真楪伶: え~、ショック。骨盤ナルシストなんですけどね~。
―― あとは、6年ぶりの水着撮影だったと聞きました。もちろん水着だと体のラインも見えて骨盤も......。
真楪伶: めっちゃフォローされてる......!すみません、もう骨盤は忘れていただいて大丈夫です。(笑) 前回の水着撮影は確か18年で、選抜に入ったころ、いろいろ出させていただきました。
―― 同じ水着で撮るにしても、大人数で撮るのと、今回のようにヴィラを貸し切って、プールサイドや室内でゆっくり撮るのとでは、だいぶ趣が違いますね。
真楪伶: 6年前はプールの中には入っていなかったんですよ。今回特にお気に入りなのが、(プールの水面とつながっているように見える)インフィニティプールでのカットです。日本では撮れない景色です。スコールが降った直後のカットもあって、バリならではです。
2万枚を1週間かけて選ぶ
―― 初のランジェリー撮影にも挑戦しました。緊張しましたか。
真楪伶: 全く何も思いませんでした。淡々と......。1着目からランジェリーでしたが、それだけで150分撮りました。1着目だけで1冊作れると言っていただきました。一番露出が多いのは1着目だと思います。
―― それはすごいボリュームですね。撮影で着たのは、全部で12着だと聞きました。
真楪伶: 水着とランジェリーが6着、外着が6着。本当にバリエーションが多い1冊です。
―― 写真は自分で選んだそうですね。何枚ぐらい撮るものですか。
真楪伶: 2万枚でした。
―― 3日間で2万枚......!写真集は全128ページなので、2万枚から最終的に130~150枚にしぼる、ということですね。
真楪伶: 1週間くらいかけて全部見て、優先順位ごとに★◎〇をつけてお戻しして、編集担当さんに構成案を組んでいただきました。その後、3分の1ぐらい私の希望に差し替えたと思います。写真って、1回目に見るときと2回目に見るときとで気持ちが変わってくるので、「やっぱりこの写真入れたいな」というのも出てきますね。
―― 感覚的なところは大きいと思いますが、何か判断基準のようなものはあるのですか。表情がいいとか色がいいとか......。
真楪伶: そうですね、自分の顔の好みだったり、骨盤とか、自分の見せたいところだったり......。今回の撮影では、普段はSNSに載せない、つまり、普段写真を撮るときにはしない表情も多くて、そのバランスを考えながら選びました。
―― 写真集発売を発表した5月17日のSHOWROOMの配信では、「アイドルからタレントになったタイミングでしか撮れない写真」を大事にしたいと話していました。
真楪伶: 撮影時点ではアイドルは卒業していたのですが、まだその気持ちが残っているというか......。タレントとしてまさにスタートを切ろうとしているタイミングでの撮影だったので、アイドル、タレント両方の顔を収めた1冊です。
―― 表紙、骨盤以外では、お気に入りはありますか。
真楪伶: ベッドの上で、疲れて寝ている写真です。今のうちに言っておきます、18~19ページです!スカートの広がりがきれいに写っています。今回の撮影のためにダイエットをすごく頑張ったので、腕が細いところもポイントです!(笑)
ダイエットで10年ぶりの30キロ台、機内食は......
―― ダイエットのために、どんなことを頑張りましたか。
真楪伶: 食べるのを結構我慢しました。撮影の3日前には39キロ。前回の30キロ台は14年2月なので、10年ぶりです。頑張りました!
―― 飛行機では機内食が出ますが、なかなかの誘惑ですね。
真楪伶: 迷いましたが、敏腕編集者の方が「食べないと倒れちゃうから食べて」と言ってくださったので食べました。「食べない方が良かったかも」と後悔しましたけど......。
―― 食べないと体力なくなって撮影もできないので、なかなか難しい問題ですね。写真以外にも、エッセーが収録されています。
真楪伶: 7本の手書きエッセーを収録しています。撮影で思ったことやエピソード、今の自分が思うことを記録して、ここに残しました。最後にロングエッセーも載っています。6000字は書いたと思います。そのほとんどが、写真集をこのタイトルにした理由についてです。
―― いかにして「奇跡」が起こったか、ということですね。今回の写真集撮影、つまり「卒業旅行」が実現したことも奇跡のひとつだと話していました。では、アイドルから心機一転、今後はどのような芸能活動を展開していきたいですか。
真楪伶: AKB48の活動の中で、もちろんステージで踊って歌うのはすごく好きだったのですが、「AKBINGO!」は自分にとって大きな居場所でした。この番組に出ることはもうないと思いますが、番組出演はさらに頑張っていきたいです。
―― AKB48時代は、バラエティー番組や舞台で活躍していました。それ以外には、どんな分野で活躍していきたいですか。
真楪伶: ファッションもすごく興味があって、お仕事をたくさんやりたいです。デザインもです。いろいろなものを見て考えて、自分でイラストを書くのも好きです。奥付に載っているウサギのイラストがそうで、「ぱみぃ」といいます。今回の写真集のために「妖精ぱみぃ」を描きました。写真集には、私が好きな妖精の衣装を着た写真も載っているので、この2ページを見比べてみてください。すでにLINEスタンプやコラボグッズを出しているので、もっと老若男女、みんなに愛されるような努力をしていきたいです。
真楪伶さん プロフィール
まちゃりん 俳優、タレント。1996年12月21日生まれ、台湾出身。2015年8月、「AKB48台湾オーディション」の最終審査に合格し、16年2月に来日。東京・秋葉原のAKB48劇場での公演などで活動した。18年3月発売のシングル「ジャーバージャ」で、27人いた「選抜メンバー」のひとりに選ばれた。出演作にはドラマ「マジムリ学園」(日本テレビ、18年)、映画「サンタクロースをいつまで信じてた?」(21年)、ドラマ「MellowLove」(22年)、舞台「メイドランカー!詰り蹴落とし跪け乙女」(22年)など。24年2月にAKB48を卒業し、芸名を本名の「馬嘉伶」から「真楪伶」(読み同じ)に改名した。