【開業12周年「東京スカイツリー」建設秘話(10)】ヨーロッパでは「芸術分野」に分類される建築

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   東京の名所となった東京スカイツリーは2012年5月に開業、2024年5月には12周年を迎えた。

  • 東京スカイツリー
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第10回:日建設計110年の歴史に見る日本の建築

   今年で創業110年を迎えた日建設計は、設計事務所として世界最大級である。組織設計事務所である日建設計は、創業時から環境を意識した設計を行い、現在も多くのビルディングやタワーの設計を手がけている。これまで手がけたプロジェクトは、世界で20,000を超える。

   日建設計が手がけてきた建築物は、環境に配慮されたプロジェクトや各地域の伝統建築に発想のヒントを得ているものが多い。東京スカイツリーのデザイン設計も、五重塔や日本の伝統文化・建築が発想のヒントになっている。

●明治時代の建築家

   ヨーロッパでは、建築は芸術分野に分類され、デザインや設計は、芸術学部や技術学部で学ぶ。何を作るかを考えるのが建築家、実際にそれを具現化するのはエンジニアである。

   日本の場合は事情が少し異なり、建築は棟梁がいて大工さんが設計から施工までを行っていたという歴史がある。寺社仏閣の普請などはその例だ。

   日本で大手ゼネコンと呼ばれる組織は、大体が寺社系統の棟梁にそのオリジンがあるところが多い。

   建築家というのは、明治時代になってからの職種である。時代は西洋の様式建築を導入していた。ジョサイア・コンドルは、雇われ建築家として英国から来日し、東京駅の駅舎を設計した辰野金吾らを育てた。日本で建築家のプロというのが確立された時代。近代日本の夜明けともいうべき時であった。

   コンドルに師事した辰野金吾や大隈講堂を設計した佐藤功一、明治生命館を設計した岡田信一郎など、当時では珍しい設計事務所を構えるようになった。

   日建設計のはじまりは、明治33(1900)年にさかのぼる。住友本店臨時建築部として設立された。住友本店を建設するために設立された組織である。この頃のプロジェクトとして大阪府立中之島図書館(1904年)がある。

●高度成長期に鉄のノウハウ

   1960年代、八幡製鉄所の工場や秩父セメントの工場を手がけた。そこで鉄の技術やノウハウを学んだ。1970年代はオフィス設計の時代に入る。この時代は日本の高度成長期と重なり、多くの大企業のビルを手がけた。

   この頃、手がけた主な建築物は、日本生命本社(1962年)、三愛ドリームセンター(1963年)、神戸ポートタワー(1963年、108m)、パレスサイドビルディング(1966年)、日本IBM本社ビル(1971年)などが挙げられる。その後、市役所やホールなどの公共建築も数多く手がけるようになった。

●超高層ビルと環境建築

   1970年、現在の株式会社日建設計に社名変更となる。

   90年代から2000年代にかけて、日本電気本社ビルNECスーパータワー(1990年、180m)、泉ガーデンタワー(2002年、185.85m)、ミッドランドスクェア(2006年、247m)など、さまざまな先端技術のもとに、環境にも配慮した超高層ビルの建築が続いている。(続く)

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