【開業12周年「東京スカイツリー」建設秘話(9)】なぜ人は「高い塔」に魅了されるのか

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   東京の名所となった東京スカイツリーは2012年5月に開業、2024年5月には12周年を迎えた。

   2023年9月末までに来訪者の総数は4550万人、東京の新名所として定着した。そのタワーはどうやって建てられたか、技術的な工夫、アイディアを当時の現場責任者に聞いた貴重な証言、記録が残っている。

   J-CASTニュース内で過去に連載した「J-CASTスカイツリーウォッチ」のうち、スカイツリー建設に携わる人々にプロジェクトの舞台裏を聞く連載企画を再掲載します。

(註)インタビューした方々の年齢、肩書きは、開業当時のままを掲載させていただきます。

  • 東京スカイツリー
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第9回:人間はなぜ「高さ」へ挑戦するのか

   塔と呼ばれるものには、メソポタミアや古代エジプトでは集落のまわりの監視塔や灯台、ピラミッドのような巨大な墓など、支配者の尊厳を示すほかに機能面があった。中世に入ると、カトリック教会の影響で宗教的な象徴性を帯びていく。

   イェリコ(エルサレム東方)の監視塔(B.C.8000年頃)は世界最古の塔である。集落の周りには石造の防御壁が築かれ、これに接するように建てられた石造の塔は現在でも9mの高さが残る。

   イェリコの監視塔をさらに大きくしたシュメル(メソポタミア南部)のジッグラト(B.C.4000~2000年)は、当初は河川の氾濫や洪水を監視する塔だった。その後、神聖な場所として崇められ、支配者の権威のシンボルと変化していった。

   天空にまで届く高塔を建てたいという人間の心理を描いた「バベルの塔」の物語が伝えられているが、それはバビロンのジッグラト(想像上では90m)がモデルとされている。

   その後、アレクサンドリア大王(B.C.356~323年)はバビロンに「バベルの塔」を再建する構想をもったというが、実現することはなかった。

   アレクサンドリア大王が夢見たというジッグラト再建は、プトレマイオス王朝時代、ファロスの大灯台(B.C.280年)として実現されたと伝えられている。当時の最先端の学問と技術を結集して建造されたこの大灯台は、高さが120mを超える石造構造物であった。この大きな灯台は、アレクサンドリアを中心に行う外国貿易の要として、威容を誇った。

   中世ヨーロッパでは、政治や宗教上の支配階級が巨大な建造物を建て、権力を誇示するものとなった。ゴシック時代の「ウルム大聖堂」(1377~1529年、1844~1890年)の尖塔は高さが161m、宗教建築の石塔としては現在も世界最高である。

   できるだけ天に近づきたいとか、遠くからも見える象徴性とか、上から見下ろすと気持ちがよいとか、そういう単純な心理が働いていた時代があり、宗教性を帯びる時代があった。産業革命以降は国威顕示、技術力・経済力の誇示、さらには大資本の企業活動のシンボルへ、高層建築物やタワー建築を建てる意味は変化している(続く)。

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