東京の名所となった東京スカイツリーは2012年5月に開業、2024年5月には12周年を迎えた。
2023年9月末までに来訪者の総数は4550万人、東京の新名所として定着した。そのタワーはどうやって建てられたか、技術的な工夫、アイディアを当時の現場責任者に聞いた貴重な証言、記録が残っている。
J-CASTニュース内で過去に連載した「J-CASTスカイツリーウォッチ」のうち、スカイツリー建設に携わる人々にプロジェクトの舞台裏を聞く連載企画を再掲載します。
(註)インタビューした方々の年齢、肩書きは、開業当時のままを掲載させていただきます。
第7回:タワーのはじまりは鉄塔「エッフェル」から
鉄が使われているタワーのはじまりは、エッフェル塔だ。
パリ万博(1889年)のとき、フランス革命100周年を迎え、産業国家としてのチカラを誇示すべく、フランスは300mの塔構想を打ち出した。塔のデザイン決定はコンペ形式で行われた。
石造りでゴシック様式の重々しいデザインが主流の時代に、ギュスターヴ・エッフェルが提案したのは鉄(錬鉄)。当時の気運として、近代化ということが背景にあった。時代の変化をパリ万博で打ち出したいというパリ政府の思いと合致し、エッフェルのデザイン案は採用された。
エッフェル社はもともと設計から施工までを手がける会社で、橋を作ったり、自由の女神の内部の鉄骨なども作ったりしていた。エッフェル自身もエンジニアだ。
当時の橋はすでに鉄で作られていた。塔に鉄を使うという発想がなかっただけで、鉄塔は技術的に実現可能だったのだ。時代は、一気に300mの高さに入った。
塔は石造りという固定観念から離れたエッフェルは、「産業と科学のシンボル」と説明したが、完成した景観にぶつけられたのは悪評だった。科学技術万能のエッフェルには批判が巻き起こったという。
実際に近くに寄ってエッフェル塔を見てみると、たしかにシルエットは美しいと思う。しかし、かなり装飾的でエンジニアリングの明快さには乏しいのではないか。アーチのように足元が大きく開放されており、橋のような感じが見て取れる。
エッフェル塔の後は、1919年にエッフェル塔を超える350mの高さのラジオ塔の計画が、ロシアのシューコフより出されたが実現されず、規模が縮小されてモスクワのラジオ塔(1922年、160m)がスチール(鋼材)で建てられている。(続く)