【開業12周年「東京スカイツリー」建設秘話(6)】「耐震構造の父」が設計した東京タワー

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   東京の名所となった東京スカイツリーは2012年5月に開業、2024年5月には12周年を迎えた。

   2023年9月末までに来訪者の総数は4550万人、東京の新名所として定着した。そのタワーはどうやって建てられたか、技術的な工夫、アイディアを当時の現場責任者に聞いた貴重な証言、記録が残っている。

   J-CASTニュース内で過去に連載した「J-CASTスカイツリーウォッチ」のうち、スカイツリー建設に携わる人々にプロジェクトの舞台裏を聞く連載企画を再掲載します。

(註)インタビューした方々の年齢、肩書きは、開業当時のままを掲載させていただきます。

  • 東京スカイツリー
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第6回:東京タワーの設計

   1958年に竣工された東京タワーの設計は、当時早稲田大学教授だった内藤多仲と日建設計が共同で行った。内藤は「耐震構造の父」と評される構造学の専門家だった。

   多数の鉄骨構造の電波塔を手がけ、「塔博士」とも呼ばれた。内藤は、日本初のラジオ電波を受信した「NHK愛宕山放送所鉄塔」(1924年、45m)をはじめ約60塔のラジオ塔や、名古屋テレビ塔(1954年、180m)、別府タワー(1957年、100m)、東京タワー(1958年、333m)、博多ポートタワー(1964年、90m)など代表的なタワーを手がけている。ちなみに、二代目通天閣(1956年、103m)も内藤の設計である。

   東京タワーは、昭和の高度成長期、日本経済のチカラを象徴するかのように、パリのエッフェル塔(当時は312m、現在は324m)より21m高く設計され、世界一の高さを誇った。現在、日建設計には当時の記録は設計図以外に何も残っていないが、内藤多仲は、東京タワーの設計にあたり、かなり大胆に決断を行ったようだ。

   たとえば、当初は鉄筋コンクリートで建設する話もあったが、敷地の関係から鉄塔で計算を進めることになったと聞いている。使用された鉄骨量はエッフェル塔の7,300tに対して3,600tと半分以下。地震の国ということを考えると、もうちょっと鉄骨量があってもよいかと思うが、実際、関東大震災の2倍の地震と風速90m/sに耐える構造技術の裏付けがあっての決断だったということだろう。

   昭和30年代、当時はコンピューターはなく、計算は計算尺で行い、解析は三角形のトラスで「クレモナ図」を手書きして行っていた。現在の何十倍もの時間と労力がかかったと思われる。使える材料も限られているし、コストも下げなければならない。いかに倹約して建てるかということを内藤は工夫したと思う。全体的に大組みにして、透けて見せるデザインには、工夫のあとが見える。(続く)

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