【開業12周年「東京スカイツリー」建設秘話(1)】高さ634mの世界一タワーはいかにして生まれたか

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   東京の名所となった東京スカイツリーは2012年5月に開業、2024年5月22日の今日、12周年を迎える。

   2023年9月末までに来訪者の総数は4550万人、東京の新名所として定着した。そのタワーはどうやって建てられたか、技術的な工夫、アイディアを当時の現場責任者に聞いた貴重な証言、記録が残っている。

   J-CASTニュース内で過去に連載した「J-CASTスカイツリーウォッチ」のうち、スカイツリー建設に携わる人々にプロジェクトの舞台裏を聞く連載企画を再掲載します。

(註)インタビューした方々の年齢、肩書きは、開業当時のままを掲載させていただきます。

  • 東京スカイツリー
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第1回:タワーは600m級時代を迎えていた

   東京タワー(333m)の建設から50余年。この間、日本の産業技術は着実に進化を遂げてきた。これから始まる話は、その日本の産業技術の現在、商業(マーケティング)の現在の展開だ。634mの東京スカイツリーは、日本産業の裾野の上に建てられている。

●計画の始まり

   デジタル放送時代を迎えた2003年暮れ、東京の放送会社6社が、600m級の電波塔建設をめざして新タワープロジェクト推進をスタートさせた。

   当時、建設地としては、さいたま新都心、秋葉原、多摩、池袋など、候補地は何か所かあった。さいたま新都心は埼玉県主体、墨田区押上地区は東武鉄道といった具合に、手を挙げた場所によって事業者が違っていた。

   2005年2月、東武鉄道がこの事業に取り組むことになり、2006年3月に建設場所は墨田区業平橋・押上地区の現在地に決まった。

   タワーが建つと、その中にNHKやフジテレビ、テレビ朝日などの放送事業者がテナントとして入る。放送事業者のプロジェクトチームによる選定で、最終的に現在の業平橋・押上地区になったということだ。2006年5月、東武鉄道は子会社「新東京タワー株式会社」(2008年6月「東武タワースカイツリー株式会社」に社名変更)をスタートさせた。

   タワーの設計が日建設計に持ち込まれたのは、2005年。

   タワーの形に具体的な注文はなかったが、必要な条件は、アンテナの高さや揺れ角の限界、放送のための機械室の面積などの与件がクライアントからあった。高さは、地上デジタル波TV放送を発信するために、600mは必要だとはじめから言われていた。それくらいの高さから電波を出さないと、高層化によるビル影の影響を免れないということだった。

   デザインに対しては、ランドマークとしてのシンボル性とか、せっかく作るんだからユニークなもの「時空を超えたランドスケープ」にしたいという意見が出ていた。

   600mを超えるのは、設計上の難易度は高いが、不可能ではないと思った。日建設計は、過去に福岡タワーなど、同様の電波塔をいくつも経験していたからである。

   バブルのころ、建築学会では「超超高層研究会」なる会があって、1000mを超える高層建築が研究されていた。また、各大手ゼネコンからも1000m級タワーのプランが提案され、競っていた。それぞれ、技術的には実現可能なプランだったと思う。

   しかし、建てる意味があるのかという見地に立つと、疑問が多少残るものだった。

   たとえば、渋谷で1000mのタワーを建てるとする。その必要性、意義は果たしてあるのかどうか。周囲を緑地にして、車乗り入れの規制をし、その代替としてLRT、自転車中心にするなど、未来のアーバンデザイン、環境、経済面などからの総合的なメリットの検証が必要だ。

   結局、研究会の結果は報告書にとどまり、実際には建たなかったが、エレベーターのシステムなどの研究成果は次世代に役に立つ内容だった。

●鉄骨と鉄筋コンクリートの合わせ技

   鉄骨造ではないが、ロシアやカナダにはすでに500m級のタワーがある。トロントのCNタワーは553m(1976年)。ロシアのオスタキンモノ・タワーは537m(1967年)である。2005年当時はすでに、ドバイの800m級高層建築の計画、中国・広州の600m級タワーの計画も始まっていた。タワーはすでには600m時代を迎えていたと言える。

   日本の場合、地震などの条件が厳しいというハンデはあるが、経験と技術があれば、何とかできるチャレンジングな仕事だと考えた。

   日本で超高層の建築物を建てる場合、地震を想定して、鉄筋コンクリートではなく鉄骨を使うことが多い。鉄筋コンクリートの場合、二つの課題がある。

   一つは構造設計上の理由。鉄筋コンクリート造は鉄骨造に比べて重く、さらに、作用する地震力も大きくなる傾向があることから基礎や地盤にかかる負荷は増加することが予想される。さらに地震が起こると亀裂が入る可能性があり、ひびが入ったら補修しなければならない。また、一度亀裂が入ってしまうと耐久性上も問題が出てくるという心配がある。ひび割れに対する解決策としてはプレストレスとコンクリートという方法が考えられるが、架構形状の制約がある。

   もう一つは、今回は住宅地などに近接しているので、鉄筋コンクリートによる煙突のようなデザインが景観的にどうか、という問題だ。鉄骨なら向こう側が透けて見えるので、デザイン的に軽快な印象となる。構造的な問題とデザインの問題を解決するために、今回は鉄骨と鉄筋コンクリートの合わせ技でいくことにした。タワー本体は鉄骨、中央部の心柱(しんばしら)は鉄筋コンクリートである。(続く)

●スカイツリーの人々 亀井忠夫氏(日建設計執行役員・設計部門代表)

株式会社日建設計について
建築の設計監理、都市計画およびこれらに関連する調査・企画・コンサルティング業務を行う総合設計事務所。1900年(明治33年)創業。国内では1954年完成の名古屋テレビ塔をはじめ、さっぽろテレビ塔、東京タワー、神戸ポートタワー、千葉ポートタワー、福岡タワーなど、海外では大連タワーなど、数々のタワー設計を手掛けている。

亀井忠夫氏 プロフィール
1977年早稲田大学理工学部卒業/ 1978年ペンシルベニア大学修士課程修了/ 1979年HOKニューヨーク勤務/ 1981年日建設計入社 / 現在、執行役員 設計部門代表
主なプロジェクト: さいたまスーパーアリーナ、パシフィックセンチュリープレイス丸の内、虎ノ門琴平タワー、クイーンズスクエア横浜、大連タワーなど。
主な受賞: Businessweek/Architecutural Record Award、芦原義信賞奨励賞、グッドデザイン賞、日本建築学会作品選集、日本建築家協会優秀建築選、BCS賞

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