他人と競い合うためではない
こうした広がりは、「推し」という言葉のカジュアル化と関係する。では、そのメリットは何か。廣瀬氏は「あまりないと思います」。好きな人物やキャラを応援する活動は昔からあるからだ。強いて言えば、先述した推しマーケットの広がりだ。
一方、「推し」のカジュアル化にはデメリットがある。廣瀬氏はこう説明する。
「推すことが当然視されるような世の中になった。『自分が好きならばそれでいい』と思って推し活が始まったはずが、どうしても他人と比較してしまう。以前に比べて競い合いが露骨になってくるわけです」
推しを応援する活動が精神的充足に繋がるならば、他人を顧みる必要はない。だが、推しに依存的な人は、他の人よりも貢献したり、認知されたりすることが精神的に満たされるようになる。握手会や投げ銭にお金を使うため、稼ぐ必要がある。大金が必要になれば、パパ活や闇バイトといった社会問題に繋がる恐れがあるのだ。
推し活で精神的充足を満たす人に、それをやめさせるのは難しく、その権利もないと廣瀬氏。だが、初心に立ち返ることの大切さを訴える。他人と競い合うためではなく、好きだから推すのではないか。また、推せる範囲で推すことが大事とも話した。