新幹線で大きく変わった
新幹線ができたことにより、速達性は一気に向上した。当初は東京駅~新大阪駅を4時間、じきに3時間10分になった。速達型の「ひかり」は超特急、各駅停車の「こだま」は特急となった。東京から新大阪まで運賃は1180円、料金は1300円、あわせて2480円となる。ビュッフェ車ゆえに豪勢な食事は出ないが、ぜいたくなものを食べるほどの時間もなくなってしまった。新聞1紙、本1冊を合わせてちょうど時間が過ごせる状態になった。
新幹線は岡山に延伸し、1975年3月の博多開業の際にちゃんとした食堂車が設けられることになった。なおビュッフェ車の連結も継続された。78年10月の「復刻版」を見てみると、日本食堂のサーロインステーキ定食が3000円、カレーライスが550円となっている。このころには列車の等級制はなくなっており、東京から新大阪まで運賃5100円、料金4200円となっている。グリーン料金は別途4000円。西村京太郎が『寝台特急殺人事件』を刊行したのはこのころであり、鉄道の乗車時間と時刻表トリックを駆使したミステリーの相性のよさが際立っていく。
100系新幹線の登場により、少しばかり速達化が進んだ。
1992年3月の「のぞみ」登場で、東京~新大阪間は最速2時間30分になる。「のぞみ」に投入された300系の特徴として、食堂車やビュッフェ車などを設けないというものがある。高速移動に特化した列車になっていった。
その後も東海道新幹線は速達性を高め、車内販売もなくなってしまった。