東京と大阪の間での鉄道輸送は、日本の長距離鉄道輸送の中心であり続けた。現在では東海道新幹線「のぞみ」を最大で12本運行させることができる。
リニア中央新幹線が東京と大阪を、駅でいうと品川駅から新大阪駅を結ぶようになると、片道1時間7分で行けるようになる。
現在は、東京駅から新大阪駅まで、最速の「のぞみ」で2時間22分。リニア中央新幹線が開業すると、この半分以下になる。
リニア中央新幹線は、2037年に全線開業する計画である。その前段階として、27年に品川駅~名古屋駅を開業する計画となっていた。しかし、同計画は断念となり、すでに着工しているこの区間はいつできるかわからない状態である。国は37年に全線をなんとしても開業させる方針だが、名古屋までの完成が見通せない中で本当にこのときまでにできるかどうか、わからない状況だ。
ともあれ、1時間7分。たったこれだけの時間で、東京と大阪を行き来することができるようになる。新幹線でも十分速いが、リニア中央新幹線はもっと速い。
東京から大阪までの過ごし方は、どう変わっていったのだろうか? 時刻表の「復刻版」を見ながら考えていきたい。JTBパブリッシングが刊行している。
在来線時代、ゆったりとした時間が流れていた
東京から大阪に向かうのには、時間がかかっていた。1925年4月号では、東京駅8時45分発の特急列車は大阪駅に20時12分に着く。しかしこの列車は1等車と2等車だけの列車で、安い3等車だけの特急は8時15分に東京駅を出発し、19時50分に大阪駅に着いた。どちらも下関駅へと向かう。なお東京と大阪の間を移動する人は、夜行の急行列車を使用していたケースが多い。
このころは、主要駅では5分程度停車していた。駅弁などの購入も可能だ。
ただ当時は、食堂車が連結されていた。洋食堂車や和食堂車が連結されており、列車の「格」によってどんな食堂車が連結されるかは決まっていた。洋食堂車での昼食は1円20銭、夕食は1円50銭である。和食堂車の昼食は70銭、夕食は1円となっていた。当然、1等車と2等車のみの特急は、洋食堂車である。
3等車の初乗りは5銭、2等車は10銭、1等車は15銭。東京から大阪まで、特急料金は3等2円、2等4円、1等6円。特急、そして食堂車というものがいかにぜいたくなものだったかわかるだろう。
この長時間、ゆっくりと新聞や本を読んでいるしか、することがないのである。人によっては、ずっと黙って座っていたのかもしれない。
1930年には特急「燕」が登場、3等級全てを連結し、食堂車は洋食堂車だった。東京駅から大阪駅の所要時間は8時間。
戦時下で特急はなくなったが、戦後復活した。戦後の注目すべき特急は、「こだま」だろう。初の電車特急として、6時間30分での東京駅~大阪駅の移動を可能にした。ビュッフェスタイルの食堂車を導入したことでも知られる。東海道新幹線開業直前の1964年9月号を見ると、朝7時に東京駅を出て、13時30分に大阪駅に着いた。これくらいの時間だと、持っていく本も少なくて済む。
在来線特急末期の「こだま」には食堂車とビュッフェ車の両方が連結されていた。食堂車は本格的な食事、ビュッフェは軽食と分かれていた。食堂車での特別ビーフステーキ定食は750円。当時は2等10円、1等20円が初乗りとなっていた。特急料金は2等800円、1等1760円。このあたりを考えると、特別ビーフステーキ定食は現在の価格で7000円~8000円もしたと考えるのが妥当だろう。ロイヤルホストのステーキより高いではないか。
時間もお金もかかったのである。当然、この時代でも急行利用の人は多かった。電車急行にはビュッフェしかなかった。