「国交のない国」へ路線を開設した、60年前の決断 JALの「誇り」が高い壁を越えた

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韓国側との交渉は軍事クーデターで一時中断

   「20年史」によると、JALは張勉政権下の60年9月に韓国航空事情を調査し、翌61年1月に調査団を派遣。一度は韓国側と交渉が始まったが、同5月に朴正煕氏らが起こした「5・16軍事クーデター」で政権が倒れ、中断してしまった。だが、62年6月に国策会社のKALが立ち上がり、韓国側から路線開設の申し入れがあったことで、交渉も再開。当時は両国間に国交も航空協定もなかったため、両社で結んだ合意を両国政府が承認する、という形になった。63年4月に協定が結ばれ、7月に両国政府が承認した。

   今では東京(羽田)-ソウル(金浦)だけで、日韓の4社が1日に3往復ずつ、計12往復を運航している。JALの執行役員で東京空港支店長の斉藤久美子氏は

「国交が正常化していない中での路線開設にはいくつもの高いハードルがあったが、日本と世界をつなぐ、パイオニアとしての強い誇りで切り抜けることができたと想像している」

などと話した。

   式典後に出発したソウル行きはJL93便(ボーイング787-8型機)。206人を乗せることができるタイプで、搭乗客は201人(うち乳児1人)だった。

(J-CASTニュース編集委員 兼 副編集長 工藤博司)

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