日本航空(JAL)は2024年4月15日、東京-ソウル線開設60周年の式典を羽田空港で開いた。JALが東京-ソウル線を開設したのが、ちょうど60年前の1964年4月15日だ。
日韓基本条約が発効し、国交正常化したのが65年12月18日。それよりも1年8か月ほど前の、両国の国交がない状態での路線開設だった。すでに東京-ソウル線は米国と台湾の航空会社が運航しており、日韓の航空会社からすれば「権益放棄状態」。東京五輪や国交回復で乗客の増加が見込まれる中で、日韓の会社が参入することは「長年の懸案」だった。
それから60年。式典が行われた搭乗ゲート前には、就航時の飛行機のモデルプレーンや時刻表が展示されたほか、客室乗務員(CA)によるチアダンスチーム「JAL JETS(ジャルジェッツ)」がパフォーマンス。就航時の制服を着た客室乗務員(CA)らが、ほぼ満員の便を見送った。
米国と台湾の航空会社のみが運航、日韓からすれば「権益放棄状態」
60年前の初便は中型ジェット機のコンベア880型機で運航。週3往復した。大韓航空(KAL)との共同運航で、東京-ソウル線をJALが担当。これに先立って64年3月に運航が始まった大阪-ソウル線の運航をKALが担い、週2往復した。
「日本航空20年史:1951-1971」(74年)によると、東京-ソウル線の開設は「長年の懸案」だった。JALが路線を開設するまでは、東京-ソウル線は米ノースウエスト航空(NW)と台湾の民航空運公司(CAT)が週に計8往復していたが、これは日韓からすれば「権益放棄状態」。参入の必要性を「国交未回復のもとでさえ順調な旅客増加があり、さらに国交回復後旅客急増が予想される」「米韓間旅客の便利拡大により将来は太平洋の集客増加の一助となりうる」などと説明していた。
「日本の航空」(64年)によると、NWやCATで東京-ソウル線を利用した人は58年は1万7700人だったのに対して、5年後の63年には4万5600人と2.5倍以上に伸びている。