それでもマウンドに立つことを目指して ケガに泣かされた「ガラスのエース」たち

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   腰痛により2軍で調整中の東京ヤクルトスワローズの奥川恭伸投手。ここ数年はケガに泣かされていて、1軍での登板は2022年3月の巨人戦が最後だ。ブルペン投球を再開しているというが、今シーズン中の復活はあるのだろうか。

   そして、奥川投手のように高いポテンシャルを持っていたにも関わらず、ケガに泣かされた選手たちがいる。これらの選手を紹介する。

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  • 奥川恭伸投手(東京ヤクルトスワローズホームページより)
    奥川恭伸投手(東京ヤクルトスワローズホームページより)
  • 伊藤智仁投手コーチ(東京ヤクルトスワローズホームページより)
    伊藤智仁投手コーチ(東京ヤクルトスワローズホームページより)
  • 福岡ソフトバンクホークス・斉藤和巳4軍監督(斉藤和巳さんのインスタグラムより)
    福岡ソフトバンクホークス・斉藤和巳4軍監督(斉藤和巳さんのインスタグラムより)
  • 由規投手(由規投手のインスタグラムより)
    由規投手(由規投手のインスタグラムより)
  • 川崎憲次郎さん(川崎憲次郎さんのインスタグラムより)
    川崎憲次郎さん(川崎憲次郎さんのインスタグラムより)
  • ストラスバーグ投手(MLB公式より)
    ストラスバーグ投手(MLB公式より)
  • デグロム投手(MLB公式より)
    デグロム投手(MLB公式より)
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  • 奥川恭伸投手(東京ヤクルトスワローズホームページより)
  • 伊藤智仁投手コーチ(東京ヤクルトスワローズホームページより)
  • 福岡ソフトバンクホークス・斉藤和巳4軍監督(斉藤和巳さんのインスタグラムより)
  • 由規投手(由規投手のインスタグラムより)
  • 川崎憲次郎さん(川崎憲次郎さんのインスタグラムより)
  • ストラスバーグ投手(MLB公式より)
  • デグロム投手(MLB公式より)

1年目の前半戦だけで7勝2敗、防御率0.91をたたき出した伊藤智仁

   まず1人目は、伊藤智仁。現在、ヤクルトの投手コーチを務める伊藤。1992年、ドラフト1位で入団すると、1年目の途中まで7勝2敗、防御率0.91の好成績を収める。だが、夏場に離脱し、その年はシーズン終了まで復帰することはなかった。

   1994年、95年も右肩を痛め一軍登板なしに終わる。復帰したのは入団から3年後の96年。そして転機となる97年はリリーフに転向、7勝2敗19セーブ、防御率1.51と復活し、カムバック賞を受賞した。

   98~00年の3年間は順調で22勝するも、01年に肩の手術を受ける。その後は思うような投球ができず、01年の登板を最後に03年に引退。通算成績は37勝25敗25セーブ、防御率2.31。

   2人目は、斉藤和巳。現在、福岡ソフトバンクホークスの4軍監督を務める斉藤。1995年、ドラフト1位で入団したが、3年目の1998年に右肩を手術。その後も肩の故障に悩まされた。

   だが、03年にブレイクした。この年は、20勝3敗、防御率2.83の成績で最多勝、最優秀防御率、最高勝率のタイトルを獲得し、沢村賞も受賞した。06年は18勝5敗、防御率1.75の成績で投手4冠にも輝いた。

   だが、それ以降は右肩の故障に悩まされ、08年以降は1軍での登板はなく12年に引退。通算成績は79勝23敗、防御率3.33。

独立リーグで選手兼任投手コーチとして現役を続ける由規

   3人目は、由規。由規は2007年、高校生ドラフト1巡目でヤクルトに入団。最速161キロの速球を武器に、08年から11年の4年間で26勝をあげ、エース候補として将来を嘱望されるも、12年に右肩を負傷し離脱。その後も故障に悩まされ続けた。

   16年7月9日の中日戦で1771日ぶりの一軍登板。この年は5試合に登板し2勝3敗、防御率4.56。復活の兆しが見えたものの、18年に再び右肩を負傷し、同年にヤクルトを戦力外に。

   その後は楽天にも所属し、現在は独立リーグの埼玉武蔵ヒートベアーズで投手コーチを兼任しながら現役を続けている。NPBの通算成績は32勝36敗、防御率3.66。

   4人目は、川崎憲次郎。ヤクルト時代の1998年には17勝をあげ、最多勝を獲得。沢村賞も受賞した。00年オフにFAでヤクルトから中日に移籍後は、右肩の故障に悩まされ、中日に移籍後3年間登板なしに終わる。

   04年は当時の落合博満監督から開幕投手に指名され、1274日ぶりの一軍登板となった。だが、この年は3試合の登板で0勝1敗、防御率34.71に終わり、同年に引退。中日での4年間で3登板。通算成績は88勝81敗、防御率3.69。

今シーズン夏の復帰を目指してリハビリ中「最強右腕」デグロム

   海の向こうメジャーリーグにもケガに泣かされた投手たちがいる。

   まずは、スティーブン・ストラスバーグ。アマチュアナンバーワン投手として知られていたストラスバーグは、2009年ドラフト1巡目(全体1位)でワシントン・ナショナルズに入団。10年6月8日のピッツバーグ・パイレーツ戦でいきなり14奪三振を奪うなど鮮烈なメジャーデビューを果たし初勝利した。

   しかし、8月に右ひじを痛めトミー・ジョン手術(側副靱帯再建術)を受けた。11年9月に復帰すると、12年から19年の8年間で7度の二桁勝利。19年には最多勝にも輝いた。トミー・ジョン手術後は、かつての直球で押すスタイルから、変化球を交えた投球術が光った。

   その活躍から、同年オフにはナショナルズと球団史上最高額となる7年総額2億4500万ドルで再契約する。

   ところが、20年以降は右肩の故障や神経痛など、度重なる故障によりわずか8登板に終わる。23年に引退を表明し、24年に正式に引退した。通算成績は113勝62敗、防御率3.24。

   続いて、ジェイコブ・デグロム。メジャーデビュー前の2010年10月にトミー・ジョン手術を受けたデグロムは14年にメジャーデビューを果たすと、9勝6敗、防御率2.69の成績で新人王を受賞する。

   その後、15年から19年の5年間で4度の二桁勝利をあげ、18、19年と2年連続でサイ・ヤング賞を受賞した。21年はオールスターまで7勝2敗、防御率1.08と好成績を収めていた。

   だが、右肘の故障によりオールスター、そして残りのシーズンを欠場。22年も故障でフル稼働とはならず、11登板で5勝4敗に終わる。その年のオフには、テキサス・レンジャーズと5年契約を結んだ。

   23年は4月に2勝を挙げて好調な滑り出しに見えたが、右肘の張りで4月後半に故障者リスト入り。6月に2度目となるトミー・ジョン手術を受けた。

   サイ・ヤング賞を2度受賞した「最強右腕」は現在、24年夏の復帰を目指してリハビリ中だ。

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