「定型発達以外の子は排除したかったんだろうな」 息子めぐる幼稚園の「トラウマ」...現役声優が告白

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   声優の井ノ上奈々さんが2024年4月7日までに、発達障害を公表している6歳息子が通っていた幼稚園に関する「苦い思い出」をブログで伝えた。

   教諭がオムツからパンツに移行できない息子をからかったり、親子で挨拶を無視されたりしたといい、「とにかく定型発達以外の子は排除したかったんだろうな」などと振り返った。

  • 井ノ上奈々さんのX(@inouenana)より
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  • 井ノ上奈々さんのブログより
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  • 井ノ上奈々さんのブログより
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「見えないようにしてほしかったな」

   井ノ上さんは15年3月に声優の市来光弘さんと結婚し、17年6月に第1子となる息子を出産した。息子については、4歳2か月に受けた発達検査で、「自閉スペクトラム症」「ADHD」「境界知能」と診断されたことを公表している。

   息子の小学校入学を控えた24年4月5日、井ノ上さんは「最初の幼稚園の苦い思い出」と題したブログエントリーを公開。入園が決まった後の面談で、当時3歳の息子は園庭で遊ぼうとするのを止められたために「不機嫌MAXになり、先生からの質問にもほとんど答えず、突然意味不明なことを話し始めたり、部屋を出ていこうとしたり」といった言動が見られたという。

   続けて、「おそらく先生たちもこの辺で『おや、この子はもしや...?』と気づいていたと思います」と井ノ上さん。教諭が園児を「○×△」で評価する「面談シート」とみられる書類が、保護者に見える形で置かれていたといい、井ノ上さんは「×と△がたくさん」記されているのが目に入ったと明かした。

   井ノ上さんは、「私が先生だったとしても、『この子はこれが苦手なんだな』とか『これはできなかったな』って思って、○×△で評価することが決まってたらそう書かざるを得ないですもん」と一定の理解を示しつつ、「見えないようにしてほしかったな。これから入園する幼稚園の先生に、あんなにいっぱい×を付けられてることを知ってたら、不安になります」とも述べた。

「あとは、息子くんだけですからね」

   入園式が終わると、「まだオムツの子はどれくらいいますか?」と保護者に向けた質問が。クラスの保護者の半数足らずが手を挙げたところ、「今はまだいいですけど、オムツは早く外してください。なるべく早くトイレに行けるようになってください。オムツもそんなに置けないですし、替えるのも大変なので」と告げられたという。

   井ノ上さんは、「えっ、えっ??何でそんなにキツイ言い方するの?笑顔なのに圧がすごいんですけど」「でも、そういうのって個人のタイミングによるってみんな言ってたし、いろんなところに書いてあるし、たぶんどの保護者も頑張ってないわけではないと思うんだけど......」と疑問を呈しつつ、「この幼稚園、なんか怖い...と初日に感じたのでした」と振り返った。

   7日のブログエントリーでも回想を続けている。息子はオムツを外す訓練が上手くいかず、「パンツにしちゃうと、8時間でも9時間でも我慢してしまう」状況だった。医師からは「まだトレーニングをする時期じゃないかもしれないから、焦らないで」とのアドバイスを受けた一方、幼稚園の教諭からは「みんなやることだから。頑張ってください」と伝えられたという。

   他の園児たちが続々とオムツを卒業する中、オムツを袋ごと持って帰った終業式の日には、井ノ上さんは教諭から「あとは、息子くんだけですからね」と伝えられたという。息子は「もう持ってこないでね?!笑」と声をかけられたとし、井ノ上さんは「先生的には、ポジティブに背中を押したつもりだったんでしょう。でも、その言葉は、私と息子が傷つくには十分でした」とこぼす。

「息子は先生と同じ名前の人を無条件で嫌うようになってしまいました」

   年中に進み、息子が登園を拒んだ日があったともいう。井ノ上さんによると、担任ではない教諭から、「いつまでもオムツをつけてるのは赤ちゃんだよ。息子くんはいつまでバブちゃんなの?」とからかわれたことが原因だった。この教諭について、井上さんは「その幼稚園では立場のある先生だった」と説明している。

   年中の担任は息子の特性を理解してくれていたとするも、先の教諭は「その後も息子や私たちに辛辣でした」。聴覚過敏が原因で、息子が運動会や発表会の練習に参加できなかった際にも、「そんなんじゃ普通の学校はまず無理でしょうね」「息子くんに合わせることはできませんから」といった物言いが目立ったという。加えて、たびたび挨拶を「完全スルー」されることもあったと訴える。

   井ノ上さんは「年少の同じクラスに息子を含めて5人、『発達障害、もしくはグレーゾーンかな?』と思う子がいて、うち以外は年少の間に全員転園しています」といい、先の教諭について「とにかく定型発達以外の子は排除したかったんだろうな 現に私たちもその先生の態度に耐えかねて辞めてますから」と私見を述べた。息子を転園させた後、近所で先の教諭の悪評を耳にすることがあったともいう。

   井ノ上さんは、「いまだに、黄色い幼稚園バスを見ると『〇〇幼稚園じゃないかな』とドキドキしてしまうくらいにはトラウマですし、息子はA先生と同じ名前の人を無条件で嫌うようになってしまいましたが、ひとまず、私の気持ちの整理はできました」とし、「明日からの小学校生活でも、つらいこと大変なことがたくさんあるかもしれませんが、あの時以上に胃が痛かった日々は無いだろうと自分に言い聞かせ、これからを楽しみたいと思います!」と締めた。

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