「息子は先生と同じ名前の人を無条件で嫌うようになってしまいました」
年中に進み、息子が登園を拒んだ日があったともいう。井ノ上さんによると、担任ではない教諭から、「いつまでもオムツをつけてるのは赤ちゃんだよ。息子くんはいつまでバブちゃんなの?」とからかわれたことが原因だった。この教諭について、井上さんは「その幼稚園では立場のある先生だった」と説明している。
年中の担任は息子の特性を理解してくれていたとするも、先の教諭は「その後も息子や私たちに辛辣でした」。聴覚過敏が原因で、息子が運動会や発表会の練習に参加できなかった際にも、「そんなんじゃ普通の学校はまず無理でしょうね」「息子くんに合わせることはできませんから」といった物言いが目立ったという。加えて、たびたび挨拶を「完全スルー」されることもあったと訴える。
井ノ上さんは「年少の同じクラスに息子を含めて5人、『発達障害、もしくはグレーゾーンかな?』と思う子がいて、うち以外は年少の間に全員転園しています」といい、先の教諭について「とにかく定型発達以外の子は排除したかったんだろうな 現に私たちもその先生の態度に耐えかねて辞めてますから」と私見を述べた。息子を転園させた後、近所で先の教諭の悪評を耳にすることがあったともいう。
井ノ上さんは、「いまだに、黄色い幼稚園バスを見ると『〇〇幼稚園じゃないかな』とドキドキしてしまうくらいにはトラウマですし、息子はA先生と同じ名前の人を無条件で嫌うようになってしまいましたが、ひとまず、私の気持ちの整理はできました」とし、「明日からの小学校生活でも、つらいこと大変なことがたくさんあるかもしれませんが、あの時以上に胃が痛かった日々は無いだろうと自分に言い聞かせ、これからを楽しみたいと思います!」と締めた。