「ここで学んだことを生かして、もう一度野球の世界で勝負したい」
西武を退団した後、新たな就職先は教育関係の会社だった。
球界とは別世界に飛び込んだことで初めて、客観的に通訳として働いていた過去の自分を見直せたという。社員研修を受ける過程で、再び野球への情熱が湧き上がってきたという。
研修では「こういう考え方で仕事に取り組めば通訳を辞めずに成長できた」と感じ、「ここで学んだことを生かして、もう一度野球の世界で勝負したい」と思い、入社から1か月後に退職して再び通訳を目指した。
就職浪人中は、縁あって大リーグのボストン・レッドソックスの日本担当スカウトをサポートし、日本のプロ野球選手、アマチュア選手らの調査を手伝った。そして翌年の06年に横浜ベイスターズの通訳に応募し、球団職員として使用された。
36歳からの再スタートだった。
篠田氏は横浜で通訳として過ごした5年間をこう振り返った。
「当時、横浜には名通訳と呼ばれた方がいて、私はファームからのスタートと言われていました。ところが、この方にアクシデントがあって、いきなり1軍に呼ばれました。160キロを超える剛速球を誇った(マーク・)クルーンが在籍していた時です。
最初は勝手がわからずミスを連発しましたが、選手たちに支えてもらって、仕事ができるようになりました。1軍のヒーローインタビューも初めて経験させてもらいましたし、クルーン投手と一緒にオールスターにも行かせてもらいました。通訳として本当にいい経験をさせてもらいました」
現在は、外国人選手の代理人として、日米球界とつながりを持つ篠田氏。日ごろから日米の野球ニュースに目を通しており、最近では大谷の通訳を務めるウィル・アイアトン氏(35)の仕事ぶりに感心したという。
篠田氏が指摘したのは、3月26日に行われた大谷の会見だ。元通訳の水原氏の違法賭博騒動に関して初めて自らの口で説明し、世界の注目を浴びた。
「大谷さんが会見で紙を広げていたので、通訳の原稿もあると思ったんですが、アイアトン氏は大谷さんが話したことをメモしていた。それを訳していたので、即興でやっているのだと思いました。
しかも、言葉の選び方が非常に思慮深かった。一字一句訳すというよりも、ちゃんと大事なところをとらえていた。どちらかというと、大谷さんの言葉よりも、彼の英語の訳の方が短く、すごく的確に訳していました。
彼は大谷さんの言葉をしっかり理解していたから、スラっと訳せたと思います。非常に優秀な通訳だと思います。私には逆立ちしてもまねできないと感じました」