自らも被災し避難、それでも看護師の職務を全う 離れた故郷は13年過ぎても「帰りてえな」【東日本大震災13年】

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能登の被災者は「私たちより、大変です」

   2013年3月に、今野さんは退職した。震災から2年が過ぎていた。

「2年で10年分は働きました」

   17年には福島市に居を構えた。ふるさと・津島で「特定復興再生拠点区域」の避難指示が解除されたのは、23年3月31日。つい最近、しかもごく一部地域なのだ。「一時帰宅」で墓参や旧家の様子を見に、時折訪れてはいたが、本格的な帰還を思い描いても、子どもたちのことを考えると現実的ではなかった。

   能登半島地震について、聞いてみた。現在、故郷から遠く避難している人は数多い。インフラ設備が壊滅し、自宅が大きく損壊していたら、戻るまでに時間がかかるだろう。

「私たちより、大変です」

   2次避難、仮設暮らしを経験した今野さんは、能登の被災者の気持ちに寄り添った。

   避難先の数多くの記録、看護師の免状、町長からの感謝状、さらに若いころ、看護師の帽子を初めてかぶった思い出の写真まで見せてくれた今野さん。当時を懐かしみながら、津島の生まれ育った家のアルバムを開いたとき、ポツリとこう、つぶやいた。

「帰りてえな」

   大きく立派な日本家屋だったが、すでに解体したと明かす。気持ちは今も、津島にあるように思えた。(J-CASTニュース 荻 仁)

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