自らも被災し避難、それでも看護師の職務を全う 離れた故郷は13年過ぎても「帰りてえな」【東日本大震災13年】

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「故郷に帰りたかったか? それどころじゃなかったですよ。自分のことを考えている余裕は、ありませんでした」

   今野千代さんは、東日本大震災で被災、避難を余儀なくされながら、看護師として診療所で連日、任務にあたった。患者としてやって来る同郷の避難者。ふるさとに帰れないつらい気持ちを、「この人たちを何とかしないと」という責任感が上回っていた。

  • 二本松市東和地区で開いた、臨時診療所。避難者でごった返している(今野千代さん提供)
    二本松市東和地区で開いた、臨時診療所。避難者でごった返している(今野千代さん提供)
  • 地震と火災で被害が広がった、石川県輪島市(写真:AP/アフロ)
    地震と火災で被害が広がった、石川県輪島市(写真:AP/アフロ)
  • 今野さんを取り上げた新聞記事
    今野さんを取り上げた新聞記事
  • 今野さんが長年勤めた、津島診療所。一時帰宅の際に撮影したという(今野千代さん提供)
    今野さんが長年勤めた、津島診療所。一時帰宅の際に撮影したという(今野千代さん提供)
  • 避難してきた人が津島診療所に押し寄せた。ぼやけてはいるが、大行列になっているのが分かる(今野千代さん提供)
    避難してきた人が津島診療所に押し寄せた。ぼやけてはいるが、大行列になっているのが分かる(今野千代さん提供)
  • 二本松市東和地区で開いた、臨時診療所。避難者でごった返している(今野千代さん提供)
  • 地震と火災で被害が広がった、石川県輪島市(写真:AP/アフロ)
  • 今野さんを取り上げた新聞記事
  • 今野さんが長年勤めた、津島診療所。一時帰宅の際に撮影したという(今野千代さん提供)
  • 避難してきた人が津島診療所に押し寄せた。ぼやけてはいるが、大行列になっているのが分かる(今野千代さん提供)

1次、2次避難、仮設で臨時の診療所

   地元は浪江町津島地区。町の西部にある山あいの地域だ。2011年3月11日、地震で大きく揺れたが停電は起きず、海から遠く離れているので津波も来なかった。1974年から務める「浪江町国民健康保険津島診療所」で、勤務を続けていた。

   ところが――。その日のうちに町の他地域から続々と被災者が避難してきた。翌12日にはさらに増える。「なんで津島に来るのか」。当初不思議に思った今野さんが、東京電力福島第一原発の事故を知ったのは診療中。テレビで流れた1号機原子炉建屋の水素爆発の映像で、視聴していた人が「おおっ」と驚きの声を上げたからだ。

   当初、津島が町民の避難先に選ばれた。原発から離れているためだ。ところが後で分かったが、放射線量が極めて高い場所だった。3月15日、町長は原発から半径20キロ圏外全域に避難指示を発令。今野さんは二本松市の親類のもとへ身を寄せた。

   二本松市内に、学校体育館はじめ複数の避難所が開設された。そのひとつ「東和生きがいセンター」に、津島診療所の医師、スタッフ数人が臨時の診療所を3月19日に開設した。今野さんも、メンバーの一人だ。

   当時のエピソードは、枚挙にいとまがない。「下駄箱をカルテの棚に使った」「避難所の体育館は床がとても冷たく、段ボールを敷いた」「支援物資でカップ麺がたくさん配られた。ずっとカップ麺を食べた」。毎日、朝食後すぐ診療所へ出勤し、終わるのは夜21時ごろ。土日祝日は、返上だ。

   臨時診療所は4月15日に閉鎖。同18日、2次避難先となる二本松市岳温泉のホテルに改めて「岳温泉仮設津島診療所」を開設し、医師・看護師が引き続き診察を続けることになる。今野さん自身も住まい、職場ともに引っ越した。さらに9月、市内に「安達運動場応急仮設住宅」が完成すると、診療所もまたもや移転する。

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