能登へ片道10時間...東松島市から食の支援 13年前の「恩返し」が合言葉、温かい豚汁やカレーふるまう【東日本大震災13年】

被災を乗り越えた人が支援「ホッとした顔をしてくれます」

   炊き出しの食材や支援物資の供給を支えるのは、KIBOTCHAのスタッフ、そして東松島のボランティアだ。「汁もの」に使う野菜は、東松島市の農家から続々と寄贈された。それらを、KIBOTCHAのレストラン部門で働く人たちが中心となってカットする。鮮度を落とさない装置を使って、能登へ運ぶ。この繰り返しだ。

   震災を経験した土地の人ならではの知恵も。最初に能登へ向かう車には水や毛布、カイロの他、「災害用トイレ」3つが詰め込まれた。自治会長がその必要性を見越して、持たせてくれたという。実際に能登町では、トイレに困っていた避難所で大いに重宝された。

   1月22日からは、再開した学校での「給食支援」になった。授業は月曜日から金曜日まで。金曜夜から週末にかけて、能登町から東松島市へ戻り、カット野菜や必要物資を調達して、また能登へ戻る。三井さん自身「何往復したか、覚えていません」と明かす。

   ある日、輪島市の教育長から三井さんに連絡が入った。学校給食の提供見通しが立たない同市の学校で、給食支援をしてほしいとの要請だった。能登町に拠点を置いたまま、2月中旬からは輪島市でも活動をスタートした。市内では小中高の生徒が集まり、3か所に分かれて学校生活を再開させている。給食時間になると、副菜として「汁もの」を配った。豚汁、トマトスープ、コンソメスープ、卵とじスープ。

「子どもたちの一番人気は、カレーです。おかわりに来る子もいるんですよ」

   温かい食事は、身も心も元気にしてくれる。東松島市の人たちも13年前、被災後に支援者が来て炊き出しをしてくれたのを、今も覚えている。KIBOTCHAで野菜を刻みながら、車に支援物資を詰め込みながら、「恩返し」という言葉を誰もが口にしていたと、三井さん。

「能登へ出発する前、地元の人から『私たちも大変だったけど、今は元気で頑張ってるから、皆さんも大丈夫よって伝えてね』とメッセージをもらいました。能登の皆さんは、被災経験を乗り越えた宮城から来たと知り、ホッとした顔をしてくれます」

   今は苦しい日々を送る被災者も、その先に光がある。東日本大震災を経験しながらも、今は前を向いて暮らしている支援スタッフの言葉には、説得力がある。

   3月に入っても、輪島市ではまだ大勢の人が避難所での暮らしを余儀なくされている。厳しい状況は続く。それでも、被災の痛みを知る人たちがきょうも、おいしくて暖かい食事の準備を続けている。(J-CASTニュース 荻 仁)

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