「浪江に一番乗りで戻ってきました」 避難先の暮らしを少しでも快適に、「利他の心」で汗を流した【東日本大震災13年】

7班に分けるとスムーズに運営できる

   11年8月、佐藤さんは二本松市内に出来た仮設住宅に入居した。9月に自治会を結成すると、体育館やホテルでの避難生活で得たノウハウから、ここでも7班に分けた。スムーズな運営には、7班がベストだという経験則だ。

   仮設の建物は、自宅のように快適とはいかなかった。すきま風が入る、段差があってお年寄りや足の不自由な人が困る......。郵便ポストが近くにないのも、住民には不便だった。暮らしの中の「困りごと」を佐藤さんが受け止め、関係各所に要望、改善につなげる毎日だった。まさに、24時間態勢――。

   仮設住宅では、同じ町内でも出身地域が必ずしも同じではない。そこで、ボランティアに頼んであちこちにベンチを設置してもらった。住民同士が座って会話する機会を増やし、孤立を防ぐねらいだ。集会所は1日中開けっ放し。大学生が来ると子どもたちに勉強を教えてもらう。住民のために、佐藤さんは頭と体を動かし続けた。

   長引く避難先での生活。佐藤さんは「最初の1、2年は浪江に帰れないかもしれない」と感じていた。だが次第に「いずれ、必ず戻る」に変わった。16年9月1日から26日間、住民が夜間も滞在できる特例宿泊が認められた。同年11月1日には、帰還に向けた準備のための「準備宿泊」がスタート。この時の登録名簿に最初に記載され、「自称ナンバーワンで、浪江に戻りました」。佐藤さんの自宅エリアの避難指示解除は、翌17年3月31日だった。

   医者もいなければ、店も開いていなかった。放射線量への不安も、ゼロではない。それでも佐藤さんは真っ先に故郷へ帰った。理由は明確。「愛着です」。

   近年、新しく浪江に移住してきた人もいる。この土地の伝統文化に興味があるとの声が多く聞こえてきた。現在、行政区区長会会長を務める佐藤さんは地元の人の協力を得て、町の歴史や文化を学ぶイベントを開いている。一方、新しい小中学校が出来ると、仲間を募って学校周辺に花を植えたり、大勢で運動会を盛り上げたりした。

   24年元日に起きた能登半島地震で被災した人を、佐藤さんは思いやる。自身の経験から、お互いに励まし合い、他人のために汗を流す「利他の心」を大切にしているという。

「昨日よりも今日。今の浪江、明日の浪江が好きです」

   その目は常に、未来を向いている。(J-CASTニュース 荻 仁)

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