「震災の話を聞かせて」。東日本大震災の発災から13年となる現在まで、こうした要望がひっきりなしに寄せられる。被災体験を次世代に伝える活動をする「浪江まち物語つたえ隊」だ。東京電力福島第一原発の事故で、福島県浪江町から避難を強いられた経験者が語り手を務める。一番の特徴は、「紙芝居」だ。
「今も、週に1度のペースでメンバーの誰かが上演しています」と、代表の八島妃彩さんは話す。震災の記憶の風化が懸念されるなか、当時の様子を知りたいと多くの問い合わせがあるという。
「東日本大震災の経験を、紙芝居にしませんか」
浪江町出身の八島さんは、2011年3月11日の原発事故後に避難し、県内・桑折町の仮設住宅に入った。紙芝居のきっかけは同年夏、広島県のボランティア関係者からの呼びかけだ。岩手、宮城、福島に伝わる昔話を紙芝居にしたいという。同じ仮設に住む女性が詳しかったので力を借り、3つの昔話を提案すると、広島の作家が紙芝居に仕上げプレゼントしてくれた。
12年3月に作家本人を招き、仮設住宅の集会所で「上演会」を実施。読み手は、図書館で読み聞かせの実績があった八島さんが務めた。会場は住人で満席となり、皆が楽しんだ。
終了後、作家から、こんなオファーがあった。
「東日本大震災の経験を、紙芝居にしませんか」
先述の、昔話を提案した女性が自身の被災体験をまとめ、冊子にしていた。この内容をベースに、「見えない雲の下で」という作品を制作。原発事故による避難の様子を描いた紙芝居となった。ただ女性は、同作完成を待たずに亡くなる。そこで八島さんが引き継ぎ、前回と同じく仮設住宅の集会所で、住人向けに上演会を開いた。
こんなくだりがある。まだ寒い3月。避難所にストーブが新たに設置されるとの知らせが届いた。ところが、その後「夜しか使えません」となった。理由は「灯油がない」。
「このシーンで、皆さん笑ったんですよ」
八島さんは振り返る。「楽しい思い出」では、決してないはず。それでも、「あのときは、大変だった」と避難者の誰もが共感できるエピソードだったため、会場が沸いたのだ。
紙芝居をアニメ化、DVD付き絵本は米スタンフォード大でアーカイブ
「浪江まち物語つたえ隊」は14年、有志も参加して本格結成となる。紙芝居作品は、次々に生まれた。津波や原発事項で、浪江の住民が苦労してきた実話が下地となっている。八島さん自身の体験も題材となった。飼い猫と避難所では一緒に住めず、つらい思いをした話だ。
活動は話題となり、北海道から沖縄まで全国から上演会のリクエストが届いた。紙芝居をアニメ化して、より大勢に触れてもらえるよう工夫。17年にはフランスで、アニメ作品を上映した。さらに「DVDアニメ付き絵本」も制作、米スタンフォード大学がアーカイブしている。
各地から、紙芝居へのオファーは絶えない。一方、八島さんは本業の仕事を抱え、忙しい日々だ。それでも、ふるさとで起きた震災を「忘れてほしくない」という気持ちを原動力にする。最近は、メンバーの一人がかつて住んでいた浪江の自宅の納屋を改装して「上演会場」として利用。道の駅といった施設も拠点に、地元・浪江で見てもらえるようになった。
日本では自然災害が頻発している。そして、24年元日の能登半島地震。つらい体験だが、後世に伝えていく教訓は多い。紙芝居という手法が近年では、各地で防災教育に役立てられていると八島さん。印象に残れば、災害時に自分の身を守る、避難する、といった行動に結びつきやすくなるだろう。
(J-CASTニュース 荻 仁)
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東日本大震災から、2024年3月11日で13年を迎えます。元日に能登半島地震が起き、今年は強く震災を意識せざるを得ない春となりました。
岩手、宮城、福島をはじめ大きな被害にあった被災地の人々は、長い年月をかけて一つ一つ、町や暮らしの再建を積み重ねてきました。その知恵と取り組みは、能登をはじめ、災害でダメージを受けた人々のヒントになるはずです。13年の歩みを今一度振り返ろうと、今年もJ-CASTニュースは東北で人々の声に耳を傾け、連載の形で読者の皆様にお届けします。