JAL国際線はホノルル&サンフランシスコから始まった 展示資料から読み解く70年前

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   日本航空(JAL)が2024年2月2日、国際線就航70周年式典を羽田空港で開いた。ちょうど70年前の1954年2月2日に、JALは羽田-ホノルル-サンフランシスコ便を開設。戦後、日本の航空会社が初めて開設した国際線定期便路線だ。

   JALが設立されたのが敗戦から6年後の1951年8月で、10月には国内線の運航を始めている。9月にはサンフランシスコ講和条約が署名されている。国際線開設は、それから2年ほど後の出来事だ。式典が行われた搭乗ゲート前には、就航時の時刻表やパンフレット、歴代制服などを展示。乗客は当時の資料に見入っていた。

  • ホノルル行きのJL74便をペンライトで見送る日本航空(JAL)スタッフ。ちょうど70年前JALは国際線路線を開設した
    ホノルル行きのJL74便をペンライトで見送る日本航空(JAL)スタッフ。ちょうど70年前JALは国際線路線を開設した
  • 出発機に一礼するJALスタッフ
    出発機に一礼するJALスタッフ
  • 搭乗ゲートには就航時の資料が多数展示された
    搭乗ゲートには就航時の資料が多数展示された
  • 歴代の制服も展示された。左から2代目(1954~60年)、5代目(70~77年)、4代目(67~70年)
    歴代の制服も展示された。左から2代目(1954~60年)、5代目(70~77年)、4代目(67~70年)
  • 初便に使用されたプロペラ機、DC-6B型機(JA6201)のモデルプレーン。「City of Tokyo」の愛称がついていた
    初便に使用されたプロペラ機、DC-6B型機(JA6201)のモデルプレーン。「City of Tokyo」の愛称がついていた
  • 就航時の時刻表。週2便で、サンフランシスコまで片道31時間かかっていた
    就航時の時刻表。週2便で、サンフランシスコまで片道31時間かかっていた
  • 給油のために着陸したウェーク島のパンフレットも。ターミナルビルは、簡素な構造だったようだ
    給油のために着陸したウェーク島のパンフレットも。ターミナルビルは、簡素な構造だったようだ
  • 英語版の時刻表。JALは「新しい日本の翼」、新路線の飛行機は「太平洋のクーリエ」だと説明されている
    英語版の時刻表。JALは「新しい日本の翼」、新路線の飛行機は「太平洋のクーリエ」だと説明されている
  • 式典後、乗客に記念品を配る日本航空(JAL)の赤坂祐二社長
    式典後、乗客に記念品を配る日本航空(JAL)の赤坂祐二社長
  • 式典ではフラダンスも披露された
    式典ではフラダンスも披露された
  • ホノルル行きのJL74便をペンライトで見送る日本航空(JAL)スタッフ。ちょうど70年前JALは国際線路線を開設した
  • 出発機に一礼するJALスタッフ
  • 搭乗ゲートには就航時の資料が多数展示された
  • 歴代の制服も展示された。左から2代目(1954~60年)、5代目(70~77年)、4代目(67~70年)
  • 初便に使用されたプロペラ機、DC-6B型機(JA6201)のモデルプレーン。「City of Tokyo」の愛称がついていた
  • 就航時の時刻表。週2便で、サンフランシスコまで片道31時間かかっていた
  • 給油のために着陸したウェーク島のパンフレットも。ターミナルビルは、簡素な構造だったようだ
  • 英語版の時刻表。JALは「新しい日本の翼」、新路線の飛行機は「太平洋のクーリエ」だと説明されている
  • 式典後、乗客に記念品を配る日本航空(JAL)の赤坂祐二社長
  • 式典ではフラダンスも披露された

36席のDC-6B型機に21人が搭乗、有償旅客は5人

   70年前の初便は、エンジンが4つついた、プロペラ機のDC-6B型機(JA6201)で運航。貨物機のDC-6A型機を米国から入手して旅客機に改造し、「City of Tokyo」の愛称がつけられた。今のファーストクラスにあたる「デラックスクラス」のみ36席を備え、21人が搭乗。ただ、そのうち運賃を払って乗った有償旅客は5人だった。乗客とは別に運航乗務員9人(基本編成は機長、副操縦士、航空士、航空機関士の4人)、客室乗務員(CA)5人が乗った。

   当時の時刻表によると、就航時は週2便で運航。21時30分に羽田を出発し、太平洋の環礁・ウェーク島(ウェーキ島)とハワイ・ホノルルを経由して翌日11時30分にサンフランシスコに到着するスケジュールで、31時間かかった。片道運賃はホノルルまで18万5400円(515ドル)、サンフランシスコまで23万4000円(650ドル)。当時の大卒平均初任給は8700円だった。

   「ウェーキ島ご案内」のパンフレットも展示されていた。「旧日本軍慰霊塔」、米軍の攻撃を受けて任意座礁した「日本郵船『スワ丸』」といったスポットが確認できる。「ターミナルビル説明図」にあるのは「航空機出発点」「トランスオーシャン航空会社」「待合室」「売店」「手洗所」「気象台」のみ。かなり簡素な構造だったようだ。

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