上司の言葉がけひとつで、モチベーションが高まった経験はありませんか?
会社の中で実際に起きた困ったエピソード、感動的なエピソードを取り上げ、人材育成支援企業代表の前川孝雄さんが上司としてどうふるまうべきか――「上司力」を発揮するヒントを解説していきます。
前川さんは今回のエピソードを踏まえ、事業継承と、それに伴う社内の改革が成功した要因に「仕事への思いと、人を中心に置いた組織づくりが人を動かす」といいます――。
引き継いだ酒造り現場、起死回生を賭けて!
日本の伝統的なモノづくりの現場である酒造業では、技能と経営の次世代承継がともに大きな課題です。ことに長時間労働と、俗人的で古い慣習が根強い職場の場合、若者が定着するのは至難であり、採用難も深刻です。
今回取り上げるのは、酒造りの現場を改革し、全国から若者を引き寄せたリーダーのエピソードです。
ある地方の酒造会社の専務取締役に着任した、30代のYさん。大学卒業後は東京のIT系ベンチャー企業で働きましたが、経営難の家業である酒蔵を継ぐため、急きょUターンしてきたのです。
酒造業界は、1970年代初頭をピークに、市場が3分の1以下に縮んだ右肩下がりの斜陽産業。なにより酒蔵の仕事は、早朝からの長時間の肉体労働。労働条件の面でも、宿直があり、休日もわずかなど過酷です。
また、酒造りを担う杜氏(日本酒づくりの現場を仕切る責任者)は、米農家から出稼ぎに来る職人が主力。工程はブラックボックスで、次世代の人材育成も成り立ちにくい構造もあります。
Yさんが着任した当時、大手酒造メーカーからの廉価な紙パック酒づくりの委託生産が事業の大半を占めていました。「安さ」でしか評価されない商品づくりに甘んじていたのです。
「何とかして起死回生を図らなければ...」
Yさんは、経営改革に乗り出しました。
空回りした改革からの猛省
「こんなことではダメだ! 付加価値がある酒造りに早く転換しなければ」
「硬直化した上意下達の組織を、よりフラットに改めなければ」
「仕事のマニュアル化を進め、ノウハウを共有できるように...」
新進気鋭のベンチャー企業で活躍してきたYさん。古い経営と現場マネジメントの改革が急務とばかりに、幹部へのビジネスハウツー伝授に躍起となりました。
ところが...。
古株の社員からは反発の声があがり、離反退職する者も出始めました。社員たちにも会社を何とかせねばとの課題意識はあるものの、若手経営者の拙速な手法に気持ちが追い付かず、改革はすっかり空回りしていたのです。
Yさんは、しばらく悩みました。
「気持ちが伝わらなければ、いくらハウツーばかり語っても、受け入れられない」
「心が通じ合い、人として認め合えて、初めてノウハウやテクニックが生きるのがモノづくりの現場だ」
Yさんはまず自分の姿勢を正す必要性を痛感しました。自分自身が酒造りに心を込めること、酒蔵の真価をしっかり考え、みんなと共有する所から始めなければ...と猛省したのです。
Yさんは、酒蔵に魅力的なビジョンを持たせることから始めました。
「日本には、世界に誇れる優れた文化がある」
「日本の食は、世界が高く評価するような素晴らしいものだ」
「日本酒は、日本の風土が培った日本にしかない素晴らしいものなんだ」
日本酒という伝統の品のよさ、モノづくりのよさを復権し、とことん磨きたい――。それはヨーロッパのワインのように、日本の土壌や文化に根ざし、かつ世界に向けて発信できる優れたものであるはずだ、と。
そのためには、どうしたらいいのか。Yさんは思考を深めます。
・酒造りの伝統や技は守る一方、悪しき旧習は壊す必要がある。
・上意下達の組織や、若者につらい我慢を強いる働かせ方はあらためる。
・職人を季節的な出稼ぎで賄うシステムを脱し、直接雇用とする。同時に、職人気質でブラックボックス化していた仕事の透明化を進め、次世代人材を育成する。
この段階では、会社として目指すべき姿もクリアになっていきました。
「酒造りに携わる人は、だれ一人歯車であってはならない! 一人ひとりの思いを大切にしながら、自分らしく働けること」
「仕事が輝かないで、人生が輝くはずはない」
目標は「マネジメントができる杜氏=醸造家づくり」だ!
Yさんは、酒蔵のパーパス(存在意義)を打ち出し、かつ、次世代の醸造家を育て上げられる会社づくりを目標に掲げたのです。
全国から2000人を超える若者が応募!
Yさんは、自分の考えを丁寧に社内のメンバーに伝えました。
「すべての人に愛される酒でなくてもいい。ただし、好きになってくれた人を裏切らない酒を造りたい。『もう一度買いたい』と思ってもらいたい」
「小回りが利かず、安定志向の人材が多い大企業には生み出せない、モノづくりの力を発揮したい」
「小売店を限定し、この酒の良さを知り、しっかり伝えてくれる先に卸したい。『どこでも買える商品』にはしたくない」
「自社の独自ブランドを打ち立て、世界に打って出る」
Yさんの、最良の酒造りを実現したいとの熱い気持ち、世界進出を目指そうとの壮大な夢は、社員たちの心にもしっかり響いたようでした。
Yさんは、さらに、念願の新卒人材の採用にも乗り出しました。
「酒造りに人生を賭けたいと思える若者を探している」「『モノづくりがしたい』『日本酒造りは、かっこいい』『世界に発信したい』との思いを持った若者に来てもらいたい」
全国に醸造家の採用を呼びかけました。
すると、なんと、募集初年に全国各地から2000人を超える学生がエントリーしてきたのです。
「地方の小さな酒蔵の呼びかけに、若い世代からこれほどの反響があるとは...」
大きな驚きであり、想定外の嬉しい手応えです。Yさんは多数の応募者の中から慎重に人選を進め、北は北海道、南は九州と、正に全国から4人の新卒者を採用しました。
「お金が目的じゃないんです。お金は他のメンバーのために使ってください」
こうして採用した1人の若者を育てる過程で、Yさんはもうひとつ驚きの体験をしたのです。
Yさんは、前職の経験からスタートアップ企業が成功し、優秀な若者が経営幹部となり、年収1000万円を得られる現場も見てきました。だから、採用した新人の気持ちをさらに奮い立たせようと、「この会社でも、そんな明日は夢ではない!」と話したのです。
すると、意外にも...新人の彼はこう語ったのです。
「いいえ。私は1000万円もいりません。600万円もいただければ十分です。そのほかは、会社やメンバーのために使ってください。私がここに就職したのは、お金が目的じゃないんです。酒造りへのビジョンに共感したからです。
実は、大手食品メーカーからも内定をもらいましたが、自分が望む道でキャリアを積めるか確信がもてませんでした。でも、ここなら明確な目標に向かって、やりがいある仕事に打ち込める。そして、少しでも早く一人前の醸造家になり、世界に打って出る仕事と会社に貢献したいんです。
でも、それは一握りの人の力では叶わない。一人でも多くの仲間や後輩を育て、会社や業界を盛り立てる資金に使ってください」
Yさんは、彼の志の高さに感動し、あらためて素晴らしい仲間を得られたことを心底喜びました。そして、この真っ直ぐな若者たちと力を合わせ、しっかり自分たちの夢を実現しようと、決意を新たにしたのです。
仕事への思いと、人を中心に置いた組織づくりが人を動かす
このエピソードは、地方の中小企業での特殊な出来事と思われるかもしれません。しかし、多くの伝統産業や長寿企業に共通する課題と、その打開のために学ぶべき要素が含まれています。
Yさんの取り組みでまず注目すべきは、酒造りという伝統産業の希少性や匠の技の魅力を引き立てながら、醸造家というプロへのキャリア形成の道筋と、独自ブランドで世界に打って出ようとのビジョンを打ち出したことです。
日本の文化に根差したモノづくりの仕事や生産物には、他に代えがたい魅力があります。その価値に着目し、磨き直し、広く世に問うことで、全国さらには世界に訴求できる製品を創り出そうとの呼びかけは、世代を超えて大きく響きました。
こうしたグローカルな視点は、今後ますます大切になるでしょう。
また同時に、その業界や仕事を取り巻く、古くからの慣習や徒弟制度的な職場風土はしっかり見直し、全員が持ち味を活かしながら活躍できるチームづくりを目指すことも不可欠です。
その過程では、旧組織での厳しい仕事で苦労を重ねてきた社員や職人との対立や葛藤があり、最後は心を通わせなければなりません。そのうえで、世代を超えて志を共有するチームとするには、並々ならぬコミュニケーションの努力があったことでしょう。
Yさんの取り組みの陰にある、上司としての困難と前向きな創意工夫に学びたいところです。
(紹介するエピソードは実際にあったものですが、プライバシー等に配慮し一部変更を加えています。)
【筆者プロフィール】
前川 孝雄(まえかわ・たかお):株式会社FeelWorks代表取締役。青山学院大学兼任講師、情報経営イノベーション専門職大学客員教授。人を育て活かす「上司力」提唱の第一人者。リクルートを経て、2008年に管理職・リーダー育成・研修企業のFeelWorks創業。「日本の上司を元気にする」をビジョンに掲げ、「上司力研修」「50代からの働き方研修」「新入社員のはたらく心得」などで、400社以上を支援。近著に、『部下を活かすマネジメント「新作法」』(労務行政、2023年9月)。