「大鵬親方がお客様に頭を下げて...」病気で引退、元大相撲力士のセカンドキャリアは料理人 忘れられない恩師の思い出

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「お客様にお断りして座りながら料理してもいいじゃない」

   引退直後に和歌山県にある割烹料理店で修業を積み、大相撲の同期生の紹介で大阪のちゃんこ料理店を任された。店長として店を切り盛りし1年が過ぎたころ、またしても体調を崩して入院した。右足から大量に出血し病院に運び込まれ、検査の結果「下肢静脈瘤」と診断された。手術を受けいったんは落ち着いたが、症状が好転することなく長時間の立ち仕事が難しくなったことから店を諦め地元新潟に戻った。

   新潟でしばらくは父親の知人が経営する下水道関係の仕事に就いたが、料理人の道を諦められなかった。「もう1度料理人として修行をしたい」との強い思いから知人に紹介してもらい、寿司屋で修業することになった。ところが修行2年目に再び「下肢静脈瘤」に見舞われ大出血。医師から5時間以上立つことを禁じられ「これ以上、店に迷惑をかけられない」との思いから店を辞めたという。

   調理場に長時間立つことができない。それでも料理人の夢は諦められない。そんな平井氏にあゆみさんはこう言ったという。

「雇われの身だと自由がきかないし長時間拘束されるから、それだったら自分たちで店をやりましょう。人を雇ってもいいし、お客様にお断りして座りながら料理してもいいじゃない。料理人の道が諦められないのならば独立しましょう」

   当時、お金に余裕はなかった。開店資金はほぼ借金でまかなったという。平井氏は当時35歳。あゆみさんは「主人は相撲が志半ばでしたので、なんとか料理人として大成したいという思いがあったと思います」とし、「当時は2人とも若かったですから怖いもの知らずだったのかもしれません」と笑顔で振り返った。

   こうして周囲の支えもあり店を構えて23年が経った。平井氏は今でも忘れられない思い出があるという。「大鵬親方が1度だけ店に来てくれたことがあったんですよ」と切り出し、大鵬親方との思い出を語った。

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