「大鵬親方がお客様に頭を下げて...」病気で引退、元大相撲力士のセカンドキャリアは料理人 忘れられない恩師の思い出

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「15年間、関取に向けて厳しい稽古に耐え、これらという時でしたので」

   その後、幕下に踏みとどまり再び十両を目指すも94年5月場所を最後に現役引退。千秋楽の翌日が30歳の誕生日だった。

   引退の引き金となったのは「肺塞栓症」という病気だった。93年の7月場所直後に体調を崩し、場所を終えるとすぐに帰京。都内の病院で検査したところ「肺塞栓症」と診断され、今後胸部に激しい衝撃を与えるような運動を禁じられたという。土俵の上で真正面から体をぶつけ合う力士にとって事実上の「引退勧告」だった。

   平井氏の夫人・あゆみさんは、平井氏が医師から「肺塞栓症」を告げられた日のことをよく覚えているという。

   平井氏は深夜の待合室で号泣した。194センチの大きな背中を丸めて泣いていた。その姿を後ろから見ていたあゆみさんは声をかけることができなかったという。「15年間、関取に向けて厳しい稽古に耐え、これからという時でしたので」

   夢半ばで土俵生活に別れを告げた平井氏が料理人の道に進んだのは、大鵬親方のあるひと言がひとつのきっかけになったという。

「現役時代、部屋のちゃんこ当番の時、親方に怒られることがしょっちゅうでした。親方は食にこだわりを持っていた方でしたから。あれは確か自分が作った魚の煮つけだったと思います。それを親方に出したところ、親方は私が作ったと思っていなかったみたいで『これ美味いじゃないか。誰が作ったんだ』と。他の力士が『平井ですよ』と言ったら親方は『あいつにこんなものが作れるはずないだろう』と言っていましたが、親方に料理で初めて褒められたのがうれしくて。そこからですね、将来料理の道に進もうと考えたのは。料理で褒められてうれしいというのが私の根幹にあります」

   平井氏が料理人として第2の人生を考えていた一方で、大鵬親方は平井氏に世話人として部屋に残ってもらいたいという気持ちがあったようだ。当時、平井氏は大鵬親方の口から直接そのような思いを聞いたことがなく、部屋を去ってから人づてに聞いたという。「後から聞いたんですけど大鵬親方は私を世話人として残したかったみたいです。もし部屋に残っていたら今の私はありません」と語った。

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