羽田空港C滑走路で2024年1月2日に起きた日本航空(JAL)機と海保機の衝突事故では、海保機に乗っていた6人中5人が死亡する一方で、JAL機は乗客乗員379人の全員が脱出に成功した。
国外でもこの事故への注目度は高く、この脱出劇を「奇跡」だと評価する報道が相次いだ。識者が多く指摘していたのが、大きく(1)客室乗務員(CA)の訓練(2)乗客が荷物を持ち出そうとせずに速やかな脱出に協力した、という点だ。JALが1月3日夜に開いた記者会見でも、こういった点が奏功したとの見方が示された。
「滑走路に接地後、突然の衝撃があった」
事故が起きたエアバスA350-900型機は、左側前方からL1~L4、右側前方からR1~R4の8つのドアがある。そのうち前方のL1とR1、後方のL4の計3つのドアを使って脱出した。残りの5つのドアは、外に火災が見えるなどの「外的要因」で使わないことを判断した、としている。負傷者は15人。内訳は打撲1人、捻挫1人、体調不良によるクリニック受診13人だった。
事故が起きたのは17時47分で、機長が全員の脱出を確認して地上に降りたのが18時5分だ。この間のパイロットとCAの行動について3日夜、堤正行・安全推進本部長が説明した。ただ、具体的な時系列は現時点では明らかになっていない。
説明によると、パイロットは会社の聞き取りに対して「滑走路に接地後、突然の衝撃があった。衝撃後、滑走路右側にそれて停止する事態になった」などと説明。機体が止まった時点では火災の発生に気付いていなかったが、CAからの報告で把握したという。エンジンを止めた後、操縦室から客室に出た時点では脱出が始まっていた。客室を見回ったところ、残っている乗客が何人かいたため、前方に移動をうながし、乗客がいなくなったことを確認した上で、CAといっしょにL4から脱出した。
本来ならば、脱出は機長がコックピットからインターホンや機内放送を使って指示するが、事故時点で使えない状態になっていた。それに加えて操縦室のドアが「何らかの理由」で開いていたため、CAは口頭で脱出の指示を受けた。