明治は100万トン、令和は1500トン
水産庁の公開している資料では、近年のサケの不漁について以下の点を指摘している。
・サケ稚魚に適した水温帯の継続期間が短縮・形成時期が変化
・水温の上昇により、サバ等の捕食魚と分布域が重なり、捕食圧が増加、生残率の悪化
サンマやサケとは状況が異なるかもしれないが、日本には、かつて一般家庭に親しまれた魚が激減した例がある。ニシンだ。今でも京都名物の「にしんそば」など、食卓から消えたわけではない。正月のお節料理に欠かせない「数の子」は、ニシンの魚卵・卵巣だが、高価な食材といえるだろう。
ニシン漁の最盛期だった1897(明治30)年には、年間約100万トン水揚げされていた。2023年2月20日の段階では、1531トンまで減少している。
ここまで漁獲量が減ったのは、明治・大正期に資源管理の方法もなく乱獲したのが原因。昭和初期から減りはじめ、1950年以降はほとんどとれなくなったという。ニシンが枯渇してしまったという見方が常識的だ。
当時はニシンを煮て圧縮した肥料である「ニシン粕」が菜種や綿花栽培に使われていた。現在のニシンの価格は500円/キロ。かつてとは状況がずいぶん変わってしまった。