「健康不安」がつきまとう
池田氏は10代半ばで結核を患い、長く血痰や咳、寝汗と微熱の日々が続いた。北向きの4畳半のアパートの一室で、タクアンだけの夕食をとり、靴下のほころびを繕う。寝床に就いたが、熱にうなされ、眼が覚める――これが22、3歳のころの自分の青春だった、と回想している。
その後も頻繁に、「背中に焼けたる鉄板を一枚入れたるがごとし」という激痛に襲われた。会長時代も結核がぶりかえし、40度前後の高熱が何か月も続いたことがあった。79年に、学会の名誉会長に退いたときも、理由の一つに「健康問題」を挙げていた。
でっぷりと太った姿で知られる池田氏だが、「30歳まで生きられないかも」と思っていた時期もあったという。香峯子夫人も著書『香峯子抄』(主婦の友社、05年刊)の中で、たびたび池田氏の体調管理に言及、「私は、主人の健康を守るために生まれてきたようなもの」と記していた。