「庶民的で飾らない指導者」か、「権力の亡者」か 池田大作氏、ベールに包まれた実像

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二律背反が一人の人間の中に同居

   入会したころ学会員は、全国で数百人に過ぎなかった。それが戸田時代の後半から増え始め、3代目の池田会長体制になって爆発する。草創期から池田氏と行動を共にし、のちに批判の急先鋒となった藤原行正氏(元東京都議)も、「学会を今日の巨大組織に仕上げた功績は池田三代会長のもの。その事実は誰も否定はできない」(『池田大作の素顔』、講談社)と認める。

   なぜ急成長させることができたのか。田原総一朗氏は『戦後五十年の生き証人が語る』(中央公論社、96年刊)で池田氏にインタビューし、秘密を探ろうとする。しかし池田氏は、「仏法自体に力がある。それが皆にわかるような指導をした」という程度のことしか語らなかった。

   宗教学者の島田裕巳氏によれば、学会の急拡大は、戦後の高度成長期に零細企業で働く未組織労働者層など「都市下層」の庶民を取り込むことに成功したことが大きい。主に地方から都会に出てきた人たちを強力に勧誘し、地域に張り巡らせた強力な相互扶助ネットワークで彼らを支えた。会員にとって学会は、仲間や相談相手がいて実利もある「新しい村」「大きな村」になったと分析する(『創価学会』、新潮新書)。

   池田氏は、めったに学会外のメディアに登場しないこともあって実像はベールに包まれ、評価は立場によって大きく異なる。内部では神格化された指導者、週刊誌などでは、離反者の声などをもとに「独裁者」として批判的に描かれることが多かった。どちらが正しいのか。

   島田氏は、実際に池田氏にインタビューした内藤国夫、児玉隆也など著名ジャーナリストが、「庶民的で飾らない指導者」などと、たいがい好印象を持ったことを紹介する。離反者の多くは、池田氏を「学会を私物化」「権力の亡者」などと激しく糾弾するが、公明党の元委員長で、のちに学会と反目、訴訟で対決した矢野絢也氏は複雑な思いをつづっている。

   矢野氏は長い政治歴の中で、佐藤栄作氏や田中角栄氏など歴代の首相や、松下幸之助氏ら政財界の大物・重鎮とも深く関わった。その誰と比較しても、「善悪、正邪両方の意味で、池田大作氏に匹敵する人物は一人もいなかった」「生涯でただ一人、『この人はすごい』と心底感じたのは池田氏だけ」「退会した今もその評価は変わらない」と語る。その「すごさ」が学会内部では「怖さ」となり、恐怖政治を生み出す源泉にもなったと分析している。(『私が愛した池田大作――「虚飾の王」との五〇年』、講談社、09年刊)。

   類まれなるカリスマ性。天才的なオルガナイザー。演説の名人で、人心掌握術の達人。コンプレックスの塊で猜疑心が強く、執念深さは想像を絶し、自分に敵対する者への攻撃性はすさまじい。一方で、ざっくばらんで愛嬌もある。こうした矛盾、二律背反が一人の人間の中に同居しているのが池田大作という人間、と評している。

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