池田大作・創価学会名誉会長が死去、95歳 戦後の宗教、政治に大きな影響力

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   創価学会名誉会長の池田大作氏が2023年11月15日、新宿区の居宅で老衰のため死去した。95歳だった。創価学会が18日、公式サイトで発表した。すでに近親者のみで家族葬をしており、お別れの会を別途、日時を改めて開催予定という。

   創価学会を巨大教団に発展させた立役者で、公明党の創始者。長年、宗教界、政界など多方面に大きな影響力を保持し、世界の有力な知識人、政治家ともしばしば対話した。30代前半で組織の頂点に立ち、独裁ぶりを指弾されることもあったが、戦後の宗教指導者の中ではとびぬけた政治力と存在感、カリスマ性を誇った。

  • 池田大作・創価学会名誉会長(写真:新華社/アフロ)
    池田大作・創価学会名誉会長(写真:新華社/アフロ)
  • 池田大作・創価学会名誉会長(写真:新華社/アフロ)

ロングセラー『人間革命』

   1928年、東京・大森の生まれ。47年、日蓮正宗の信徒団体、創価学会に入る。第2代の会長を務めた戸田城聖氏(1900~58)に私淑し、側近として学会の活動や勢力拡大を支えた。52年、学会は宗教法人になり、60年、32歳の若さで学会の第3代会長に。戸田会長時代から進められていた大がかりな勧誘活動「折伏大行進」に拍車をかけ、公称800万世帯を超える巨大組織に成長させた。

   64年、公明党を発足させ、自社二大政党の間の中道政党としてキャスティングボートを握る。65年から『聖教新聞』紙上で、学会の歴史と戸田氏の生涯を描いた長編小説『人間革命』の連載をスタートし、続編『新・人間革命』も。学会員の必読書として、戦後の出版界では驚異のベストセラー、ロングセラーになった。

   国際的な活動も目立ち、68年には、中華人民共和国の正式承認と日中国交正常化、中国の国連加盟などを提言。その後の政府間交渉を強く後押しする形となった。

   74年には周恩来首相や、ソ連のコスイギン首相と会見するなど、しばしば世界各国の要人、有識者と会い、75年にはSGI(創価学会インタナショナル)会長に就任、学会の支部を世界192か国に広げた。海外の有名大学で何度も講演し、300余の大学などから「名誉学術称号」を授与されている。また、内外に幼稚園から大学まで創価学会系の教育機関を設け、次世代教育にも力を注いだ。

学会が急成長する過程で軋轢も

   学会が急成長する過程では様々な軋轢も生んだ。初期の「折伏」では強引さが社会的批判を浴び、公明党の選挙をめぐっては学会員の組織的選挙違反が摘発されたことも。70年には、学会と公明党に対する批判本に対して、出版・流通を妨害したとされる「言論出版妨害事件」が起きて、のちの政教分離につながった。

   組織内では、学会元幹部や公明党の元委員長らの側近が何人も離反。宗門との対立など不協和音がしばしば報じられた。

   しかし、学会の基盤は大きくは揺るがず、2002年、学会は会則を改正。「初代会長牧口常三郎先生、第二代会長戸田城聖先生、第三代会長池田大作先生の『三代会長』は...永遠の師匠」と明文化され、名実ともに特別の存在となっていた。

たびたび流れた重病説

   重病説も絶えなかったが、香峯子(かねこ)夫人は「文藝春秋」の13年1月号で、「ラジオ体操を若い人たちと一緒にするのが、今も日課となっています。先般も、来日中のアフリカ10ヵ国の青年たちに会って激励しました」と近況を明かしていた。

   年頭には毎年、平和問題などに関する「提言」を発表。機関紙「聖教新聞」では時折、池田氏が創価大学(東京都八王子市)を訪問した様子などが報じられていたが、近年、動画での姿は見られなくなっていた。

   16年9月22日、朝日新聞は学会の原田稔会長とのロングインタビューを掲載。その中で池田氏の最近の様子を聞いているが、原田氏は「元気にしておりますよ。執筆活動などに専念しています」と答えていた。

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