大相撲の世界から43歳で社会人になった元力士がいる。元幕下の中世古(なかせこ)貴之さん(44)だ。中学校卒業後に高田川部屋に入門し、2022年7月場所(名古屋)で約29年間の相撲人生に幕を閉じた。引退1か月後の同年8月から地元愛知県内の介護施設で働き始めた中世古さんは、「2度目の新弟子気分を味わっています」と笑顔をのぞかせた。
「気持ちの面で負けて悔しいという思いが薄れ...」
大相撲の道に入ったのは3歳上の兄の影響だった。両親が愛知県内で経営している飲食店に高田川部屋の関係者がたまたま訪れ、体格の良い兄をスカウトしたという。兄の入門をきっかけに高田川部屋に遊びに行く機会が増え、部屋所属の行司や後援会長から勧誘され、部屋の雰囲気が良かったことから入門を決意した。
相撲歴は小学校時代に部活で経験した程度で本格的に取り組んだのは入門してからだった。大相撲の壁は高く、幕下に上がるまで10年を要した。そして32歳の時に自身最高位となる幕下17枚目まで上り詰めた。それからさらに11年間、相撲道にまい進し、ただひたすら関取の座を目指したが夢が叶うことはなかった。
なぜ43歳まで土俵に上がり続けることが出来たのか。中世古さんの答えはシンプルだった。「相撲が好きでしたから」。そしてこう続けた。「若い子が入ってくると刺激になって負けてられないなという気持ちがありました。自分の子供のような年齢の子が入ってくると負けられないなと」
強い気持ちを持って土俵に立ってきたが、40歳を超えたあたりから徐々に気持ちに変化が訪れ、引退が頭をよぎったという。ベテランの中世古さんは相撲教習所で新弟子を指導する立場にあったが、関取の経験がないため引退後は日本相撲協会に残るのは難しかった。
「気持ちの面で負けて悔しいという思いが薄れ、体の大きい相手に対する恐怖心も出てきました。稽古もそれほどできなかったので、次のことを考えるようになりました。引退してからどうしようかと。就職に関して親方に相談して運転免許を取らせていただきました。介護の仕事をしたいと思っていたので介護の資格を取るためにスクールにも通わせていただきました。親方には感謝しかないです」
セカンドキャリアに介護職を選択したのは、高田川部屋での経験がきっかけで、幼い頃おばあちゃん子だったことも理由のひとつだという。
「相撲界はあいさつで始まりあいさつで終わる」
「高田川部屋が老人ホームなどの施設を訪問していましたし、後援会で年配の方に応援していただきました。それで就職のことを考えた時に恩返しと思いました。姪が介護施設に就職したこともひとつのきっかけになりました。姪から色々と仕事の内容を聞いて『こういうこともやるんだ』と。このようなことを踏まえて介護施設に就職しようと思いました」
43歳でマゲを落とし、社会人としての第1歩を踏み出した。大相撲とは別世界に飛び込んだ中世古さんはどこまでも前向きだ。
「不安はありましたけど相撲界とはまた違う世界で働けるという楽しみがありました。不安と楽しみが半々でした。ポジティブでないとまだまだ先が長いので。社会に出たら1年生ですから。社会に出てみて最初の2か月は慣れるのが大変でしたが、職場の皆さんが良い方ばかりだったので今は楽しく働かせていただいています。今までは自分のことだけを考えて練習をしていればよかったですが、今は自分のことより利用者様や同じ職場の方のことなど色々なことを考えながら仕事をしなければならいので、それが1番大変でした」
現職では大相撲時代に培った経験が生きているという。施設には大相撲が好きな利用者が多く、中世古さんが元力士だと分かると多くの利用者から声を掛けられ、しばしば相撲の話で盛り上がるという。
高田川部屋で教え込まれた礼儀作法も役立っている。
「相撲界はあいさつで始まりあいさつで終わる。そういうことも生きていると思います。礼儀作法に関しては職場でも『礼儀正しいですね』と褒められることが多い。相撲界に29年いたことが生きていると。みなさんに評価していただいているのがうれしいです。今はすごく楽しんで充実しています。2度目の新弟子はなかなか経験できませんから」
「力士として悔いはない」
社会人として1年が過ぎた。日々の仕事にもようやく慣れてきたという中世古さんは「仕事を始めた時には慣れない生活で体重が120キロを切りましたが、慣れは怖いですね。体重が120キロ台に戻りました」と笑顔を見せ、「介護職は天職だと思っています」と胸を張る。
そして「仕事をしていて楽しいですしやりがいもあります。『ありがとう』と言われるのがすごくうれしい。力士時代は『頑張って』と応援されることは多かったですが、『ありがとう』と言われたことはありませんでしたから。やっぱりうれしいですね」と続けた。
当面の目標は2年後に控える国家試験となる。
「結婚はこれからですね。社会で色々な経験を踏んでからと考えています。そこも新弟子ですね。社会人1年目ということもあって、仕事に先に慣れないといけないということもありましたので。これからは他のことも楽しみながらやっていこうと思います」
高田川部屋に入門した当初は、あまりの厳しさに心が折れ、3年持てば良いと思ったという。それが相撲を取るたびに相撲が好きになり、のめり込んでいった。仕えた2人の親方にも恵まれたという。
中世古さんは「力士として悔いはない」と言い切り、「29年間は幸せな時間でした。辛いこともありましたけど楽しかったりうれしかったりした方が倍以上ありました。お相撲さんになって良かったなと思います」と振り返った。