「1000円弱」は1000円以上か未満か――。「1000円弱」という言葉を「1000円より少し多い」の意味で使っている人が多くいるとして、衝撃を受けたというツイッター(現・X)の投稿が2023年9月上旬、話題となった。
なぜ「弱」を誤った意味で使用してしまう人がいるのか。J-CASTニュースが読者アンケートを取ると、「1000円弱」の意味を「1000円以上」と答えたのは全体で17%いた。年代別で見ると10~20代は20%を超えていた。
若年層で「誤用」の割合が高くなった要因について、「例解学習国語辞典」(小学館)などの編集委員を務める専門家は、「記号接地」という概念を使いながら、インターネットや人工知能(AI)の発達により、結果だけを覚えることで言葉や知識の理解や察しが悪くなると指摘。結果を早く得ようとすることで、言語を予測する力が弱まるという見解を示した。
10代は30%、20代は23%が「1000円以上」と回答
「広辞苑 第7版」(岩波書店)は「弱」を、「切り上げてその数になったことを示す語。実際はその数値よりもすこし少ないこと」と説明している。「強」は、「ある数のほかに切り捨てた端数のあること。実際はその数値よりもやや多いことを表す」と書かれている。
「1000円弱」は「1000円より少し少ない金額」「1000円未満」であり、「1000円強」は「1000円より少し多い金額」「1000円以上」というのが、辞書的な正しい使い方とみられる。
J-CASTニュースでは9月14日から「1000円弱」の意味を「1000円未満」か「1000円以上」のどちらで捉えているか、読者アンケートを実施し、10月17日時点で4572票が集まった。そのうち780票(17%)が「1000円以上」を選んでいた。年代別の票数と比率は以下の通りだ。
10代・・・130票中39票(30%)
20代・・・158票中37票(23%)
30代・・・450票中83票(18%)
40代・・・1119票中216票(19%)
50代・・・1462票中205票(14%)
60代・・・853票中128票(15%)
70代以上・・・400票中72票(18%)
なぜ誤った使い方で「弱」という言葉を使用するのか。「例解学習国語辞典」などの編集委員で、NPO法人こども・ことば研究所理事長の深谷圭助・中部大学現代教育学部教授は18日、J-CASTニュースの取材に、「記号接地」という概念で解説する。
記号接地については、認知科学が専門の今井むつみ・慶應義塾大学教授が7月23日付の朝日新聞で、「言葉の意味を真に理解するには、現実世界から受け取る具体的な情報について、身体的な感覚を持つ必要があるという考え」だと説明している。
深谷氏によると、言葉は通常、誰かに教えてもらうことで解釈する。言葉や数字がどのような経験と結びつくかによって、記号接地が適切に行われるかが決まっていくという。
「AIやネットで答えをすぐに求めるのは、記号接地力を弱くします」
アンケートでは、10代から20代の若者の中で、「弱」を誤った意味で捉えている人はともに20%を超えていた。若者にとりわけ誤用が多いのは、なぜなのか。
深谷氏は、記号接地がうまくいっていない人が「1000円弱」の意味を理解しようとする場合、「弱」「強」という言葉の感触から、自分の感性で「プラスアルファの中で、程度の強弱の違いを表す言葉」のように独自に解釈するのではないかと推察する。
記号接地の力が低い若者がいる理由として、言葉を理解する経験、場面が少ないことをあげる。理解するプロセスで、適切なアドバイスをもらったり適切なリソースから学んだりする機会がないまま、言葉を使うようになる場合があるという。
言語感覚や言語センス、察しの良し悪しの問題もあるとする。学校やテストで勉強する言葉は限られてくるため、言語感覚が磨かれない子どももいる。自分で適切に意味を予測する力が弱いと、ずれた解釈になる。
こうした背景には、インターネットや人工知能(AI)の発達があると指摘する。
「ある程度プロセスを経験しないと自分で予測はできません。結果だけを覚えていくと、言葉や知識の理解や察しが悪くなります。ググって(編注:グーグル検索をして)結果を早く得ようとすれば、当然そのプロセスを踏まないので、予測する力が弱くなると考えられます。AIやネットで答えをすぐに求めるのは、記号接地力を弱くします。若者の多くは結論を急いでおり、分からないものを分からないものとしておくことができていません。間違った情報を掴むこともあります」(深谷氏、以下同)
言葉に対して「どういう意味なのだろう」と思わずに、勝手に解釈した意味で定着するのは言葉を類推する力が弱くなっている証だという。辞書で調べないか、調べたとしても不十分で、そのため予測する能力が上がらないのではないかと推察する。
「わからない言葉を他の言葉を使って予測したり、漢字の読みや部首から予測したりすることで、記号接地がうまくいきます。予測がうまくいく人といかない人の間には、そういう学習プロセスの経験の差があります。インターネット時代では答えがすぐわかるからこそ、手持ちの情報を基に予測する探求的な姿勢が非常に重要です。予測がうまくいけば、記号接地の力が身につきます」
記号接地の力の高め方については、次のように述べる。
「ある程度、予測をしてから答えを見る。それから、人の言っていることをそのまま正しいと思わないことです。あとは、分からないものを分からないものとしてキープしておき、様子を見るのが大事です」
「あっという間に違う意味で定着するかもしれません」
アンケートでは、70代以上の高齢者の誤用も少なくはなかったが、それはなぜか。
深谷氏は、「少し多い」という意味の「強」の使い方は、今から500年ほど前、室町時代からあると解説。一方、「少し少ない」という意味の「弱」は比較的出現が新しいという。少なくとも明治の終わり頃の1909年、高浜虚子が「続俳諧師」の中で「月末の計算が二十円弱の損失」という文章で使用しており、「日本国語大辞典」(小学館)にも高浜虚子によるこの使用例が掲載されている。
そのため、現在の高齢者が子どもの頃には「1000円より少し少ない」という使い方の「弱」の解釈があまり定着していなかったかもしれず、高齢者は記号接地がうまくいっていない可能性が高いと推察した。
深谷氏は「新しい言葉は若者から生まれる」と考える。「間違った使い方だ」と指摘しがちだが、必ずしも間違いというわけではなく、新しい言葉の解釈が生まれつつあり、新しい使い方として定着していくかもしれないという。
深谷氏が大学1年生60人ほどに聞いたところ、「1000円弱」を「1000円よりも多い金額」と答えた学生が約3割いたという。「1000円弱」を「1000円よりも少し高い」、さらに「1000円強」を「1000円よりも遥かに高い」と解釈している学生が一定数いるとした。また「1000円弱」の解釈が合っていても、「1000円強」を「1500円くらい」とする学生もいたという。
「1000円より少し多い」とする「1000円弱」や、「1000円より遥かに多い」とする「1000円強」は、若者にとって「スタンダードになりつつあるのではないか」と指摘する。「世代間で言葉の使い方や意味が違うことはよくあります」「若い人の方が新しい言葉に敏感になって、より使おうとして、その結果、流行らせていきます」という。
深谷氏は、この現象を「積極的な意味で捉えることができるかもしれません」とする。若者に限らず、世代を超えて使われるようになる可能性を指摘し、「若い人の方が発信力があるので、あっという間に違う意味で定着するかもしれません」と推測した。