教師から馬鹿にされ...それでも「高校では絶対喋るぞ」と固く決意
小学校2年生から中学3年生まで場面緘黙の症状があったという30代後半のムラタさん(仮名)は、もともとはお喋りな子どもだったという。
「私の場合、小1の終わり頃からだんだん人と話すときに変に緊張するようになりました。小学校2年のときには(学校で)話してなかったという認識です」
発症したきっかけとなる出来事について、「喋らなければ可愛いのに」と言われた経験や弟が生まれたことなど「それなりに思い当たるイベントはある」としつつも「大きくなってから考えたことなのであまりしっくりこない」と話した。
症状については、
「授業で答えたり発表したりは全くできませんでした。本当に親しい一部の友達とは普通に話せましたが、授業中は挙手もできないし、音読もできないし、返事もダメでした」
と話す。クラスには仲の良い友達もいたが、学校の先生主導によるいじめを受けていたという。
「ちょっと頭の弱い子のように扱われていました。馬鹿にするというか、見下すというか。先生が主導になって(馬鹿にするような扱いをしていたため)、クラスのみんなも『あ、こいつはいじめていいのかな』という感じでした。当時は完全に私が悪いと思っていました」
親が医療関係者だったため、児童相談所や発達障害支援センターに一緒に通っていたが幼い頃から親とは不仲で、虐待ともいえる扱いを受けていたという。
「バンバン叩かれるし、殴られるし、蹴られるし......。場面緘黙の症状がありながら、学校の方がましなくらい、家は居心地が悪かったです。殴られるくらいならみんなに無視されている方がいいや、みたいな」
ムラタさんが学校で初めて声を発したのは、中学校の卒業式だったという。
「中学の終わり頃に『高校では絶対喋るぞ』と心に決めていました。私の性格からしたら珍しく、本当に固い決意でした。高校に入ってからだといまいち意思が弱くなってしまいそうだったので、中学の卒業式の日に初めて声を発しました。それ(声を出したこと)で頭がいっぱいで、周りの情景はまったく覚えていないです」
高校以降は外で話せるようになったが、それでも場数を踏みながら徐々に慣れていったという。ムラタさんは現在、介護関係の仕事に就いている。
「仕事柄、声が大きくないと相手に全然聞こえないので、声が小さいことで困ることはあります。あとは、急に話しかけられたときにとっさに返事ができないとか、あまり経験したことがないような場面に出くわしたときに、どう対応していいのかわからなくなることもあります」