「授業中は音読も挙手もできない」「話せるようになっても雑談が苦手」 DJ SODAさんも苦しんだ「場面緘黙」とは

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症状が改善してきた「中学以降の方が苦しかった」

   今回取材したのは、場面緘黙に関する情報交換や理解促進のための活動を行う「かんもくネット」の会員である3名。まず、場面緘黙経験者で、現在は場面緘黙に関わる活動を行っている20代後半のヤマダさん(仮名)に話を聞いた。ヤマダさんは小学2年生から6年生の頃まで場面緘黙の症状があったと話す。

「場面緘黙は人によって症状が違うのですが、私の場合は仲のいい2~3人とは普通に喋れましたが、先生や他の同級生とは喋れませんでした。授業中に当てられたときには緊張しながらなんとか発言できていましたが、雑談は全くできず、首振りだけで答えていました」

   発症のきっかけについては、「今振り返っても、自分でもわからない」。小学1年生のときに、先生が生徒全体に「静かにしなさい」と言ったあとに自分だけ喋ってしまった記憶はあるが、その直後に話せなくなったわけではなく、直接のきっかけではなさそうだという。

   自分が学校で話せないことに関してはあまり気にしていなかったというが、とくに授業中は困ることや辛い思いをすることもあった。

「教科書を忘れたり、配られたプリントの枚数が足りなかったりしても、先生や周りに言えないことがありました。あとは、日直のスピーチや国語の発表の授業などで、教室の前で喋るときは緊張がものすごく強かったです。原稿を準備していても、初めの数行で声が震えて、泣いてしまって最後まで読めず、先生が『もういいよ』という感じになり席に戻ったことも。そういう発表のときは辛かったですね。中学以降も緊張はすごかったです」

   ヤマダさんは、中学生になった頃から徐々に学校で話せるようになった。小学校高学年のときに周りの子どもと自分とを比べて客観視できるようになり「中学生になったら話せるようにしよう」と思ったこと、中学校はヤマダさんと別の小学校出身の生徒もいたため「自分のことを知らない人が多かったので、喋れる自分を出しやすかった」のが理由という。

   しかし、ヤマダさんはむしろ症状が改善してきた中学以降の方が「苦しかった」と話す。

「いきなりたくさん喋れるようになったわけではなくて。とくに男の子とは喋れませんでした。話しかけられてもすぐに答えられなかったり、挨拶も自分からできなかったりということは結構ありました。中学から高校、大学、大学院と、本当に徐々に徐々に喋れる程度が増えていったという感じです」

   中学3年生のときにはうつ病の診断もされた。

「自分は喋りたいという気持ちがあっても、同級生が雑談しているように喋れない。それがかなり辛かったです。なかなか大きな声で話せないというのもあって、飲食店のホールのバイトで、自分では大きな声を出しているつもりでも『もうちょっと聞こえる声で話して』と言われたこともありました。完全に喋れない状態ではなくなりましたが、自発的に話しかけることや雑談が苦手で、周りの人と同じではないなというのはずっと感じ続けていました」

   話すことへの苦手意識や周りとの違うという感覚を抱きながらも、人と関わり続けることをやめなかった理由について、ヤマダさんは次のように語った。

「仲のいい友達もいましたし、家だとめちゃくちゃ普通に喋るので、(外では)話せなくても、人と接すること自体が嫌いだったわけではないと思うんです。話せるようになる努力をしたのは、やっぱ周りの人と同じようになりたいという思いがありました」
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