「1人で妊娠はできないのに、相手の男性はお咎めナシで、女性だけ逮捕されて実名さらされるのは、本当に理不尽」
トイレで出産した赤ちゃんを放置し死なせてしまった女性が逮捕されたというニュースに対し、産婦人科専門医の稲葉可奈子さんはX(旧ツイッター)で違和感を訴えた。
母親が生まれたばかりの赤ちゃんを殺めてしまった事件は後を絶たない。こうした痛ましい事件を防ぐためには、適切な教育と支援の拡充が必要だと稲葉さんは訴える。J-CASTニュースは2023年9月上旬、稲葉さんに現状の課題などを取材した。
「必要なのは罰則ではなく支援」
23年8月中旬、勤務先のトイレで産んだ男児を放置し死なせたとして、アルバイト従業員の女性が殺人容疑で逮捕された。複数のメディアによれば、女性は妊娠に気づかぬまま出産し、放心状態であったために救助できなかったと供述している。赤ちゃんの司法解剖の結果は溺死とされている。
産婦人科医として望まない妊娠事例に直面してきた稲葉さんは、「このような方に必要なのは罰則ではなく支援」だとして、Yahoo!ニュースのコメントで次のように訴えた。
「どう考えても悪意があってではなく、どうしようもない状況で、支援を求めることもできず、でも赤ちゃんはいずれ産まれてくる、もちろんその過程でどこかへ助けを求めて頂きたいけれども、どこへ助けを求めたらよいかがちゃんと周知されていないのも問題」
稲葉さんは産婦人科診療の傍らで、性と生殖に関する健康と権利(SRHR)などの啓発活動を行っている。また自身も双子含む四児の母でもある。取材に対し、今回のように生まれて間もない赤ちゃん「嬰児(えいじ)」を殺めてしまう事件の背景には「望まない妊娠」があるのではないかと話す。
「望まない妊娠は防ぐことができるものなのですが、防ぐ手立てを知らなかった、もしくは防ぐ手立てをしなかったか、できなかったか。その結果、望まない妊娠をしてしまって赤ちゃんを遺棄してしまうといった事件に繋がってしまうのではないでしょうか」
「望まない妊娠」が引き起こす問題
実際に稲葉さんは、望まない妊娠をした女性たちを診てきた。そういった人々の中には、出産するまで妊娠に気づかなかった人もいたと説明する。
「妊娠していることに気づかないなんてありえない、と思われる方が多いと思いますが、本当にありうることなのです。
ふくよかな体形だったために体形の変化に違和感を覚えなかったり、胎動を感じても特に気にしないでいたりする人もいます。このように本当に気付かなかいケースもありますし、妊娠をしている事実を受け入れたくないため確認しないケースもあります」
妊娠に気づかないままトイレで力んで出産してしまうことは、ありえない話ではない。
「妊娠している自覚がない、もしくは妊娠の事実を受け入れられていない人が、自分の体から赤ちゃんが出てきたら、冷静でいられないと思うんですよね。そこで119番を呼べる人もいるかもしれませんが、何もできない人もいると思います。公的には逮捕されてしまう事案ではありますが、殺意とかではなく、気が動転して何もできなかった、ということはありえる話だと思います。もちろん、だからといってしてはならないことに変わりはありませんが」
こうした背景から稲葉さんは、嬰児を遺棄してしまった母親たちに必要なのは「罰則ではなく支援」だと訴える。
「他の犯罪、例えば窃盗罪であれば『盗もう』と思って盗んだことについて、繰り返さないよう罰せられています。しかし『望まない妊娠』をした結果、対処できずに罪を犯してしまったというのは、母親自身がしたくて行ったわけではありません。
今回のような事件は、罰するだけで改善されるものではありません。その女性が同じことを繰り返さないためには、適切な教育やサポートが必要だと感じています」
透明化される男性の存在
嬰児殺しが話題になると、SNSでは母親を責める声が広がる。多くの報道では母親の実名などが取り上げられるが、父親について言及されることは少ない。稲葉さんは、女性だけが責められる現状に疑問を抱えている。
「逮捕は、遺棄したことに対すること。もちろんそれは女性がやったことで、そこに男性は存在していません。しかしその場に『男性が存在しない』こと自体が理不尽だと感じています。根本の原因である『望まない妊娠』が起きる背景には必ず男性の存在がある。
妊娠は男性と女性、両方の責任です。しかし物理的には女性だけが妊娠し、男性は逃げられる状況にある。そのために女性にばかり大きく責任がのしかかっているのは理不尽です」
稲葉さんが診てきた「望まない妊娠」が起きた事例としては、性的暴行に限らず、男女が適切な避妊法を知らなかったり、パートナーとの関係性から避妊ができなかったりしたケースもあるという。
「親になる覚悟がないならば避妊するのは大前提です。妊娠してしまった場合には二人で向き合わなければなりません。しかし女性が避妊を希望しても拒否されてしまうという、ありえないことが日常茶飯事で起きています。妊娠させたと知った瞬間、音信不通になったり逃げたりしてしまう男性も存在します。避妊の相談にネガティブな返事をする相手には、話をしてみて、聞く耳をもたないようなら、お付き合いを続けないのが賢明と思います」
コンドームを用いない性交には、性感染症に感染するリスクもある。男性には次のように呼びかける。
「避妊するのは恥ずかしいことではありません。中絶をしたくてしている女性はいません。
もし妊娠させた時に育てられないのであれば、中絶を提案するくらいならば、はじめから避妊してください」
SNSの一部では、「避妊・妊娠・中絶の議論で男性が出てこないことはずっとおかしいと思ってる」「男性も、責任を取りましょう」といった声もある。「中絶や望まない妊娠を減らしたいならば、中絶や妊娠そのものに着目するのではなく、無責任な射精を防ぐ必要がある」などと論じた、ガブリエル・ブレア氏の著書「射精責任」(太田出版)が7月に発売されたことをきっかけに広がっている。
望まない妊娠を防ぐために
内服する薬「ピル」や子宮内に装着する「子宮内避妊具(避妊リング)」など、女性自身ができる避妊手段もある。
「日本で避妊と言えば、男性がコンドームを装着するイメージが強いです。しかしコンドームの避妊効果はさほど高くありません。きちんと装着していないことが多いですし、男性主導であるため女性が身を守る手段としては適していません。女性主導の避妊方法もあると知ってほしいです。むしろその方が避妊効果も高いのです」
なぜ導入が進まないのか、稲葉さんは認知度が低いことや金銭的ハードルの高さがあると説明する。女性向けの避妊具は、月経困難症などの症状緩和を目的とした場合には保険が適用されるが、避妊を目的とする場合は自費で負担しなければならない。
「経済的な理由で望まない妊娠をすることはあってはなりません。避妊のハードルを下げる国もあり、例えばフランスでは25歳以下の女性に対し、ピルや避妊リングなどの避妊手段が無償化されています。日本でも、保険適用なりなんらかの形で費用負担が軽減されれば、もう少し望まない妊娠を防ぐことができると思います」
現状、望まない妊娠に伴うトラブルを抱えた人々が頼るのは、多くの場合民間のサポートだ。地方で望まない妊娠をした場合、噂が広まることを恐れて自治体の相談窓口や地元の病院を利用できず、県をまたいで受診する人もいるという。
「望まない妊娠へのサポートとして、よく話題になるのは『赤ちゃんポスト』ですが、妊娠や出産自体にもリスクはあり、本来は妊娠中から母子の安全を考えられる相談窓口が必要です。望まない妊娠をした女性に対し無料で妊婦検診やお産を支援する民間団体もありますが、本来であればこうした取り組みを国が行うべきだと考えています」
また家庭内暴力(DV)を受けていたり、経済的に自立ができなかったりして、家庭内の性暴力から物理的に逃げられない人もいる。貧困などを理由に「パパ活」などの危険な売春行為をやめられない人もあるという。こうした望まない妊娠の背景にある社会問題に対する支援までできることが理想だと述べた。
日本では政府提供の妊娠に関する相談窓口はないが、こども家庭庁が全国の「性や妊娠などの悩みについての相談窓口」(https://sukoyaka21-youth.cfa.go.jp/counter_for_worries/)を紹介している。
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