「地獄を見た福島にずっと寄り添ってくれている」 県TOKIO課継続、被災当事者が明かすジャニーズの支援への感謝

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   故・ジャニー喜多川氏の性加害問題をめぐり、各企業によるジャニーズ事務所所属タレントの広告起用を見直す動きが広がる中、福島県は株式会社TOKIOと連携する「TOKIO課」を継続すると報じられた。TOKIOは番組の企画を通じた縁から東日本大震災の被害に遭った福島県を応援してきた背景がある。このニュースを受けX(ツイッター)では、TOKIO以外にもジャニーズ事務所では被災地支援や義援金の寄付をしてきたことに感謝や評価する声が上がっている。J-CASTニュースは実際にジャニーズ事務所の被災地支援を受けたという人に話を聞いた。

  • 株式会社TOKIO公式X(@tokioinc_2021)より
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阪神淡路大震災以降、被災地や医療従事者を支援

   公式サイトによると、ジャニーズ事務所は1997年に阪神淡路大震災復興支援プロジェクト「J-FRIENDS」を結成。震災復興チャリティーイベントや募金、収益金の寄付などを行った。東日本大震災の際には、コンサートや演劇公演を一時中止し、公演で使用予定だった機材運搬用の大型トラックで救援物資を運搬したほか、電源車や軽油を積んだタンクローリーを被災地へ派遣。被災地復興支援プロジェクト「Marching J」を発足し、募金活動や復興支援イベントなどを行った。

   公式サイトでは新潟県中越地震、熊本地震のほか、被害の大きな豪雨や台風の際にも、被災地を訪問しての炊き出しの実施や募金、義援金や物資の寄付といった支援活動をしてきたことを報告している。被災地支援以外にも、2020年以降は医療従事者支援活動をしてきた。

「連日疲弊していた心が一瞬で洗われるようでした」

   2016年の熊本地震と2020年の熊本豪雨の被害に遭ったというXユーザーは、「被災を経験した方はジャニーズ事務所には感謝しかないと思います」と語る。

   熊本地震の際は、

「周りの建物がほぼ崩壊し、全ての交通機関が終了、友人の多くは仮設住宅住まい、1~2週間は水も電気もない生活が続きました」

という被害状況だったといい、ジャニーズ事務所の炊き出しなどに参加した。

「スマイルアッププロジェクトとして、タレント達が日替わりで炊き出しに来てくださいました。肖像権の厳しい中、写真撮影に快く応じてくれたり、子ども達に沢山話しかけてくれたり。一年後には嵐のワクワク学校を現地で開催してくれ、無償で招待してくださいました」

   熊本豪雨の際は、「家の前の川が氾濫し実家が浸水・崩壊、土砂崩れで潰された家もあります」という状況だった。

「コロナ真っ只中、物流がなかなか回らない中、真っ先に支援物資を送ってくださいました。被災したメインの地域ではなくTVではあまり報道されない辺鄙な地域であったにも関わらず、町役場にまとめてではなく学校それぞれ宛に送ってくれました。生活必需品に加え、タレント達のグッズ(タオルや絆創膏などの使えるもの)も沢山入っており、大人も子供も大興奮でした。たくさんの寄付金も本当に感謝しています」

   物資の届け方についても細やかだったといい、被災地支援をしたジャニーズ事務所に対し感謝の気持ちを語った。

「スピード感がすごく、さすがだなと感じました。チャリティー活動において迷いが全くなく、行政なんかよりも判断・行動がとても早いです。また、タレント達の持ってるパワーやエネルギーが凄く、連日疲弊していた心が一瞬で洗われるようでした。当時を思い返す時は必ずジャニーズの支援のことが浮かびます。老若男女関係なく人を元気にしてくれる人たちです。被災を経験した方はジャニーズ事務所には感謝しかないと思います」

嵐のワクワク学校に「とても幸せになった」

   東日本大震災で被災したという福島県在住のXユーザー、ななねねののandさくらにめろと小梅さん(@nananenenonosan)さんにも話を聞いた。当時の被害状況の深刻さをこう振り返る。

「自宅は4階建ての集合住宅でしたが、立っている家具がないほど酷い状態でした。停電断水も重なり、住むところが無くなった為、実家に家族揃って身をよせました。

3/14に腫瘍切除の手術予定でしたが、震災と原発事故で無期延期となり、先行きは見えず明日も分からない身で途方に暮れました。

鉄道も高速も何もかも止まり、原発事故後兵糧攻めにあい、飲み水や食べ物にも事欠き、この世の地獄を見ました。私達も被災者でしたが、津波や原発事故が余りに酷すぎて私たちは自分の事は自分で何とかするしかなく、当時は世界中から見捨てられたと本気で思っていました」

   周囲には、2012年にあづま総合体育館(福島県福島市)で行われた「嵐のワクワク学校」の課外授業に参加した人が多かったという。

「震災後小さい子どもがいながら中通り(地域)のため避難することもできず、先行きが全くわからない中、スーパースターがあんなところ(あづま体育館)に来てくれた事に驚きました。

こんなところに来て被ばくしたらどうするんだろう...と申し訳なく心配な気持ちでいっぱいになりましたが、行った人たちはみんな『辛いことなんて忘れて夢のような時を共有出来た』『とても幸せになった』と言っていました」

   また、福島県の復興を応援してきたTOKIOに対しては「福島県民としてTOKIOの皆様には常に勇気づけられています」という。

「地獄を見た福島にずっと寄り添ってくれているのはTOKIOだと思っています。DASH村が被災された後、福島市で稲作をしていた時はお米の作柄を心配して天候に一喜一憂してました。 今回縁を切らないと公に言ってくれた県にも感謝です」
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