「万年、野党をやるつもりはないので、いつかは新しい連立政権の中核になりたい」
玉木氏は香川県出身の唯一の首相、大平正芳(1910~80)の遠戚で、大平の「後継」を自任。SNSにもたびたび、首相を意識する文脈で「大平」の文字が登場する。
例えば16年9月に行われた民進党の代表選に出馬した際には、高松市内で行われた街頭演説に先立って大平家の墓地を参拝。当時の心境をフェイスブックに
「『これは総理大臣になるポストを争う選挙だ。お前に、それだけの覚悟があるのか!』 そう、大平元総理から厳しく問われた想いが致しました」
とつづっている。
直後の街頭演説では、
「自民党に代わるもうひとつの信頼できる政治のかたまりをつくらなければならない。それが私が今回の出馬を決意した最大の理由だ」
などと訴えた。民主党に維新の党が合流して民進党が発足して半年も経っていない時期の出来事だ。17年の「希望の党」騒動で政治状況は大きく変わるが、当時の玉木氏は「大きなかたまり」による政権交代で首相を目指していたわけだ。
18年1月に希望の党代表として日本外国特派員協会で臨んだ会見でも、
「2020年の東京五輪後、実際に自民党に取って代わるチャンス(viable opportunity to replace the LDP)がある唯一の責任ある野党だと信じている」
と、同趣旨の発言をしている。
最近は、仮に連立入りした場合は「中核になりたい」とも述べている。これが「総理大臣」発言の伏線だとみることもできそうだ。玉木氏は9月4日のNHKのインタビューで、自公との連立については慎重な発言を繰り返す一方で、今後の党のあり方については
「万年、野党をやるつもりはないので、いつかは新しい連立政権の中核になりたい。そのために今は自分たちの力を少しでも地道に大きくしていくことがベストのシナリオだ」
と述べている。
(J-CASTニュース編集部 工藤博司)