バスケW杯、日本の偉業支えた「沖縄アリーナ」の存在 川淵三郎氏「勝利の全てだった」

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   バスケットボール男子ワールドカップ(W杯)で2023年9月2日に日本がパリ五輪出場権獲得したことを受け、Jリーグ初代チェアマンで、日本バスケットボール協会会長などを歴任した川淵三郎氏がX(旧ツイッター)で喜びを爆発させた。

   大会は日本とフィリピン、インドネシアの3か国で共同開催され、日本で唯一の会場が沖縄アリーナ(沖縄県沖縄市)。川淵氏は沖縄アリーナがあったからこそ大会の開催が可能になり、ホームゲームで優位な雰囲気で盛り上げられたことが「勝利の全てだった」とする持論を展開した。

  • バスケットボール男子ワールドカップ(W杯)の会場になった沖縄アリーナ(写真:河口信雄/アフロ)
    バスケットボール男子ワールドカップ(W杯)の会場になった沖縄アリーナ(写真:河口信雄/アフロ)
  • バスケットボール男子ワールドカップ(W杯)の会場になった沖縄アリーナ(写真:河口信雄/アフロ)

沖縄市長は初当選時の公約が「1万人規模の多目的アリーナ建設」だった

   大会には32チームが参加。沖縄ではそのうち8チームが計20試合を行い、上位2チームがフィリピンで開かれる決勝トーナメントに進む。川淵氏は9月2日夜、絵文字を交えて

「おめでとう!おめでとう!おめでとう!最後の最後までハラハラドキドキさせるのがこのチームなんだね トム有難う!選手の皆さん有難う!三屋会長(編注:日本バスケットボール協会の三屋裕子会長)良かったねえ。なんと言っても皆さんの応援が凄かった」

と喜び、3日の書き込みで沖縄アリーナと大会の関係について次のように説明した。

「元を辿れば桑江沖縄市長が沖縄アリーナを作ったからW杯カップ(原文ママ)開催が可能になりホームの絶対的優位な雰囲気で盛り上げられた事が勝利の全てだったと思います」

   書き込みにある沖縄市長の桑江朝千夫氏は14年に初当選し、現在3期目。初当選時には、2期連続で続いていた革新市政から8年ぶりに保守が市政を奪還したとして話題になった。当時掲げていた公約のひとつが「1万人規模の多目的アリーナ建設」だった。15年度中に基本計画がまとまり、20年の完成を目指して18年に工事が始まった。

   日本バスケットボール協会は、アリーナ完成を見越して大会の誘致に動いていた。17年1月、協会は沖縄市が大会の候補地として立候補したことを発表。沖縄を候補地として選んだ理由として、アリーナの建設予定や、地元のバスケットボール熱の高さを挙げていた。

   沖縄市開催は、およそ1年後の17年12月に開かれた国際バスケットボール連盟(FIBA)中央理事会で決定。当時、三屋氏が出した談話でも、次のようにアリーナの意義に触れている。

「今回の招致成功の大きな要因の一つが、2020年沖縄市に建設予定の1万人規模の新アリーナでしたが、完成後は琉球ゴールデンキングスのホームアリーナとして、また他のスポーツや音楽活動、さらには地域の核となる防災拠点としても、このW杯招致成功を機に新たなアリーナ文化を創出し、その先駆けとして沖縄全体の活性化に大きく寄与することでしょう」

「三屋会長がFIBAの理事だったこともあり強引に決定させたのです」

   川淵氏は当時の内幕を、Xで次のように明かしている。

「会場を決める時まだアリーナは完成どころが(原文ママ)形をなしていませんでした。それを三屋会長がFIBAの理事だったこともあり強引に決定させたのです」

   自然災害の影響で工事は遅れ、アリーナが完成したのは21年のことだった。

   地元開催が日本代表を後押ししたとみているのは、地元紙も同様だ。23年8月27日に日本がフィンランドを98-88で破ったことを受けて、沖縄タイムスは8月29日付けの「バスケW杯日本1勝 時代開く歴史的白星だ」と題した社説では、選手や監督をたたえた上で、ホームゲームの意義にも触れている。

「会場を埋め尽くした観客もチームを鼓舞した。途切れることのない声援と鳴り響く拍手、県民特有の指笛。それに背中を押され走る選手たちの姿に、ホームゲームの真骨頂を見た」

(J-CASTニュース編集部 工藤博司)

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