「三屋会長がFIBAの理事だったこともあり強引に決定させたのです」
川淵氏は当時の内幕を、Xで次のように明かしている。
「会場を決める時まだアリーナは完成どころが(原文ママ)形をなしていませんでした。それを三屋会長がFIBAの理事だったこともあり強引に決定させたのです」
自然災害の影響で工事は遅れ、アリーナが完成したのは21年のことだった。
地元開催が日本代表を後押ししたとみているのは、地元紙も同様だ。23年8月27日に日本がフィンランドを98-88で破ったことを受けて、沖縄タイムスは8月29日付けの「バスケW杯日本1勝 時代開く歴史的白星だ」と題した社説では、選手や監督をたたえた上で、ホームゲームの意義にも触れている。
「会場を埋め尽くした観客もチームを鼓舞した。途切れることのない声援と鳴り響く拍手、県民特有の指笛。それに背中を押され走る選手たちの姿に、ホームゲームの真骨頂を見た」
(J-CASTニュース編集部 工藤博司)
元を辿れば桑江沖縄市長が沖縄アリーナを作ったからW杯カップ開催が可能になりホームの絶対的優位な雰囲気で盛り上げられた事が勝利の全てだったと思います。会場を決める時まだアリーナは完成どころが形をなしていませんでした。それを三屋会長がFIBAの理事だったこともあり強引に決定させたのです。
— 川淵三郎(日本トップリーグ連携機構会長) (@jtl_President) September 3, 2023