猛暑が復旧活動の足を引っ張る
PBVが楢山・東の両地区で運営する拠点では、支援物資の配布や資機材の貸し出し、そして被災住民の「困りごと」をヒアリングし、具体的な支援を得られるよう行政につなげている。
地域にとって今回の水害は、想定をはるかに超えた事態だ。社協は、ボランティアセンターを切り盛りしなければならない。市職員も、被災者が支援金給付や支払い減免といった措置を受けるのに必要となる「り災証明書」の交付をはじめ、事務作業に追われる。住民から丁寧に被災状況を聞き出し、きめ細かく対応するための役割を、PBVのような支援団体が担っているのが現状だ。
上島さんらが被災者から話を聞くと、いまだに家を片づけていないケースが判明した。特に高齢者が置かれた状況は、深刻だ。こんなケースがあった。
発災3週間ほどが過ぎた時点で、1人のおばあさんから「片づけが進まない」との話を耳にした。理由は「猛暑」。秋田市では7月23日から、最高気温が連日30度を超えた。8月に入るとさらに高温となり、気象庁発表の最高気温は9日に38.2度、下旬の23日には38.5度まで上昇した。
浸水した家に、そのまま住むしかない。「手伝いに行きますよ」と上島さんが声をかけても、「いえいえ、大丈夫」と遠慮するばかり。り災証明書の交付に必要な家屋調査が済んでいない事情もあり、家の中をそのままにせざるをえないと話した。2日に1人ほどが、PBVの拠点にこうした相談を持ってくるという。
「わざわざPBVの拠点に来て打ち明けるということは、本当はしんどいだろうなと思います」
実は支援側にとっても、暑さは強敵だ。家屋の片づけのような重労働では、熱中症の危険がつきまとう。ボランティア参加者は「少しでも長時間、手伝いたい」と活動しているが、異常な高温は命にかかわる。現場でのジレンマが、なかなか解消されない。
水害は、発災前後は大きく報道される。だが浸水が解消すると、文字通り水が引くようにニュースもなくなっていく。被災住民にとっては、長く険しい生活再建の道が残されているが、世の中の注目は次第に薄れ、支援の意識が向かなくなる恐れもある。秋田市の水害の「その後」について近々現地を取材し、被災の現状を伝える予定だ。
(J-CASTニュース 荻 仁)