「あなたとの約束は、ちゃんと守っていますよ」 尾辻参院議長の戦争の記憶...「遺骨収集」と不戦の誓い

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   政府が2023年8月15日に開いた全国戦没者追悼式で尾辻秀久参院議長(82)が述べた「追悼の辞」では、2年連続で「遺族のひとり」しての思いが強く打ち出された。

   尾辻氏の父親は戦死し、「一度で良いから、お腹いっぱいご飯を食べたい」と思いながら育ったが、母親も早世。そんな中で母親役になったのが戦没者の妻だ。遺族らと一緒に遺骨収集に臨んだエピソードを交えながら、不戦の誓いを新たにしていた。

  • 「追悼の辞」を述べる尾辻秀久参院議長(写真左)
    「追悼の辞」を述べる尾辻秀久参院議長(写真左)
  • 「追悼の辞」を述べた後に天皇皇后両陛下に一礼する尾辻秀久参院議長
    「追悼の辞」を述べた後に天皇皇后両陛下に一礼する尾辻秀久参院議長
  • 「追悼の辞」を述べる尾辻秀久参院議長(写真左)
  • 「追悼の辞」を述べた後に天皇皇后両陛下に一礼する尾辻秀久参院議長

遺骨を前に「子供達をしっかり育てるという、あなたとの約束は、ちゃんと守っていますよ」

   尾辻氏のウェブサイトによると、父・秀一は駆逐艦「夕霧」艦長(海軍少佐)。尾辻氏が3歳だった頃にソロモン群島沖の海戦で32歳で戦死している。母親も、尾辻氏が20歳だったときに41歳で急死している。

   尾辻氏が議長として「追悼の辞」に臨むのは今回が2回目。22年は母親について「母も戦死したと思っております。戦争がなければ、早く死ぬこともありませんでした」と述べていた。

   今回の「追悼の辞」では、母親が元気な頃に「親バカだなあ」と軽口を言ったところ、「私が親バカでなければ、 父親のいないあなたは生きていなかった」という言葉が返ってきたエピソードを披露。「母に諭されたことを忘れることはできません」と話した。

   母親の死去後、戦没者の妻と一緒に遺骨収集に臨んだ時、そのうちのひとりが遺骨を前に「子供達をしっかり育てるという、あなたとの約束は、ちゃんと守っていますよ」と声をかけたという。そういった中で平和で豊かな国が築き上げられた経緯に言及し、

「いま、私たちがしなければならないことは『犠牲となられた方々のことを忘れないこと』 と、 『戦争を絶対に起こさないこと』であります」

と訴えた。

   尾辻氏は国会でもたびたび遺骨収集の問題に言及。遺骨収集事業を担う一般社団法人「日本戦没者遺骨収集推進協会」の会長を務めたこともある。04年10月27日の厚労委では、厚生労働相として

「私自身、遺骨収集はそれこそ何回も何回も出かけております。したがいまして、現場の状況だとか御遺骨の状況だとか、だれよりも一番よく知っておる一人だと考えます」

などと答弁している。

尾辻秀久参院議長「追悼の辞」全文

本日ここに、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、 全国戦没者追悼式が執り行われるにあたり、 謹んで哀悼の誠を捧げます。
父も32歳で戦死をいたしましたので、私は今日、参議院議長として、また、遺族のひとりとして、ここに立たせていただいております。
私たちは、焼け野原の中、お腹を空かせて大きくなりました。「一度で良いから、お腹いっぱいご飯を食べたい」と思っていました。
母が元気なころ、軽口で「親バカだなあ」と言いましたら「私が親バカでなければ、父親のいないあなたは生きていなかった」
母に諭されたことを忘れることはできません。
その母も41歳で力尽きた時、戦没者の妻の皆さんが母親代わりになって下さいました。
遺骨収集でご一緒しました時、その中のおひとりがご遺骨に語り掛けられました。「子供達をしっかり育てるという、あなたとの約束は、ちゃんと守っていますよ」
私たちは、生きるか死ぬかという中を肩を寄せ合って生き抜いて参りました。平和で豊かな国を作り上げました。
いま、私たちがしなければならないことは 「犠牲となられた方々のことを忘れないこと」 と、「戦争を絶対に起こさないこと」であります。
平和を守るために、私の経験を次の世代に語り継いで参りますことを戦没者の御霊にお誓いを申し上げて、 追悼の言葉といたします。
令和5年8月15日
参議院議長 尾辻秀久

(J-CASTニュース編集部 工藤博司)

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