「自分も子どもに虐待して私と同じ思いをさせちゃうのが嫌」
自分が子どもを持ったら親ガチャ失敗に違いない――。そんな思いで、子どもを持たない決断をした30代の女性もいる。
関東在住で保険関係の仕事に就くミホさん(仮名・30代)は、40代の夫と2人で暮らしている。現在は医師から心因性の病気と診断されたため、仕事を休職している。
幼いころから、母から虐待を受けていたと話すミホさんは、子どもが好きじゃないと公言していた夫と結婚する時に「子どもは持たない」と2人で決めた。大学に入学するまで中部地方に住んでいたミホさんは、幼少期を次のように振り返る。
「私の母は結構ヒステリックで、当時は気に入らないことがあると、途中で家を出て行ったり、物を投げたり、分厚い漫画雑誌を投げつけたりすることが結構あって。イライラして爆発すると何でもしちゃう人で、私が高熱で寝込んでいたのに、家を出て行かれちゃうこともありました」
「お前を産まなきゃよかった」「お前を産んだせいで不幸になった」――こうした言葉を繰り返し言われたミホさんは、ストレスの影響で幼少期の記憶の一部がないという。中高時代には、精神科医に「君が受けているのは虐待だから、一回お母さんから離れよう」と言われ、一時的に入院することもあった。
服は3回以上着ないと洗濯できず、風呂に入れないときもあった。シャンプーがもったいないという理由で、母から髪を短くされることも続いた。
ミホさんが子どもを持たないと決めたのは、「自分に子どもができた時に虐待するかもしれない。そんな人間が子どもを持つのはどうなんだろう」と感じているからだ。
「自分も子どもに虐待して私と同じ思いをさせちゃうのが嫌だなという思いが強くて。私は母にちゃんと愛されなかったことがすごく嫌で、苦しかったので。その思いを自分の子どもにさせたくないので『持たない方がいいな』と思っていて」
ミホさんの母もミホさんの祖母から虐待を受けていた。「私自身、どうしても虐待の連鎖を信じてしまっています。母も、母の母、つまり祖母から結構酷い扱いを受けていたって聞いてます」と話す。
大学生のころ、母から「私は学校に行くのに制服も買ってもらえなかったけど、私の妹は買ってもらっていた」という話も聞いたことがあるという。
また、ミホさんの父の親戚が住む中部地方にミホさん一家は住んでおり、ミホさんの母は父の親戚から「なんで第1子で女(編注:ミホさん)を産んだんだ」と責められることもあった。ミホさんに弟ができたのは約6年後のことだった。