30代を前にして仕事や人生を考えたとき、これからどう生きればいいのか。将来に迷いを感じた会社員の女性は、仕事を休職して700日間の世界放浪の旅に出た。そこで衝撃を受けた「民泊ビジネス」を帰国後に始め、年に2000万円を稼ぐようになった――。
副業で民泊を経営するぽんこつ鳩子さん(以下、鳩子さん)の新著『民泊1年生の教科書――未経験、副業でもできる!』(祥伝社)が、発売4日で重版が決まるなどの話題を呼んでいる。2018年に民泊を始めた鳩子さんが民泊のやり方を分かりやすく解説した本だ。
最初に始めた民泊は家賃18万5000円の一軒家。当時の手取り収入は約20万円だった。経営は難しく感じられそうだが、鳩子さんは同書で「でも、私はあきらめたくなかった」と思いを打ち明ける。23年7月時点で18軒の民泊を運営するほどの飛躍を遂げた鳩子さんに、人生を切り開く「行動力」を持つための秘訣を聞いた。
「自分とは違う生き方をしている人たちに会いたい」
民泊とは、ホテルや旅館ではなく、マンションや一軒家などの一般住宅に宿泊することだ。民泊仲介サイト「Airbnb(エアビーアンドビー)」などを通じて予約し、宿泊することができる。
鳩子さんが民泊に出会ったのは、仕事を休職して世界一周の旅に出ていた29歳の時だった。当時の仕事を次のように振り返る。
「家電量販店に商品を卸す営業職だったんですけど、管理職の女性も営業職の女性も全然いない会社だったんです。29歳の時まで結構忙しくて、仕事用の携帯電話も全然鳴りやまなくて。そういう中で、営業職でずっと働いていくのかなって思っちゃったんですよね。
それで仕事がちょっと嫌になって、自分とは違う生き方をしている人たちに会いたいと思って、大体700日ぐらい世界一周の旅に出ました」(鳩子さん、以下同)
――海外旅行は元々好きだったんですか。
「めちゃくちゃ好きでした。会社勤めなので長期休みにしか行けなかったんですけど、例えばゴールデンウィークの前日に羽田から飛行機で飛んで、最終日の翌日の朝に帰ってきてそのまま出勤するみたいな(笑)」
当時は実家暮らしだった鳩子さん。貯金が貯まっていたことや海外旅行が好きな会社の同期がいたこともあり、以前からインドやウズベキスタン、ポーランド、リトアニアなどの国をめぐっていたという。
「サラリーマン以外の働き方をしている人たちがいると知った」
今後の仕事や人生に迷いを感じていた鳩子さんは「世界を放浪したい」という思いに駆られた。それから半年ほど過ぎた頃、ついに休職届を会社に提出した。鳩子さんは「今勤めている会社は本当に良い会社なんです」と話し、元々辞めるつもりはなかったと明かす。
――約2年間も会社を休職することに不安はありましたか。
「当時はブログが流行ってて、1人旅をする女性が結構ランキング上位を占めてたんですよ。その記事を読んでると、自分でも行けるんじゃないかと思って、世界一周旅行に行きたいなと思ったんですよね。
私はサラリーマンだったので、日本に戻ってきてまた働けば給料が入るじゃないですか。実家暮らしで家はあったので、もう貯金を使い切っちゃおう!ぐらいの気持ちで旅をしてました」
会社から長期休暇の許可が下りた鳩子さんは、こうして約700日の世界放浪の旅に出る。そこで出会ったのが、鳩子さんの人生を変えた「民泊ビジネス」だった。
自宅を民泊として貸し、旅に出ている1か月の間で稼ぐ友人の姿に衝撃を受けた。鳩子さんは「場所にとらわれず、自分がその場にいないのに稼げるというのは、私にとって考えられないものでした」と、当時の心境を本で振り返っている。
――米ニューヨークで出会った日本人の友達が民泊をしていたそうですね。
「そうなんです。その子はギターを弾きながら歌って投げ銭で旅をしてる人だったんです。そういう感じで何年間も旅をしていて、常にお金がなさそうな感じだったのに、(編注:民泊を始めてからは)ビールのバドワイザーを毎日ワンケース買って、MacBook Proの一番高いモデルを買って、ニューヨークからヨーロッパのエアチケットを買ったりしてました。それを見て、私も『これはいい!』と思ったんです」
――約2年間の海外旅行で変わった価値観はありますか。
「会社と自宅を往復するサラリーマンという働き方しか知らなかった自分が、それ以外の働き方をしている人たちがいると知ったことが、一番大きな発見でした。それまでは会社以外のコミュニティが全然なかったんですよね。ツイッター(現・X)みたいなSNSもやってなかったし」
世界放浪の旅を終えた鳩子さんは、再び会社員生活に戻った。約2年間の休職後、また気軽に会社を休むことはできない。その当時「1か所でいいから、世界とつながれる場所がほしい、という思いが強かった」と本で述べている。
「世界一周旅行をする人って、みんな基本的に無職なんですよ。それで旅行が終わったら、何食わぬ顔で旅行とは関係ない仕事に就くんです。『世界一周なんかしたことありません』みたいな。私はせっかく珍しい体験をしたのに、その経験を隠して生きていかなきゃいけないのかなと思ったんです」
「経験したことがないから不安になる」
民泊だったら、海外の旅行客が泊まってくれる――。そう思った鳩子さんは、少しでも世界との繋がりを持ちたいと考え、自分が使う部屋以外をゲストに貸し出す「家主居住型」という方法で1軒目の民泊を18年に始めた。当時の手取りは約20万円。最初に契約したのは家賃18万5000円の一軒家だった。
――月に1万5000円しか残らないことに何か不安はありましたか。
「民泊は儲かるとは思ったんですけど、いざ日本でやるとなったらどうなるの?という不安はありました。でも、いざとなれば全部やめて実家に帰ろうと思ってました。ダメだったとしても、楽しそうだからやってみようという気持ちもありました」
しかし民泊を実際に始めてみると、立ち上げた月から海外客からの予約が続々と舞い込んできた。鳩子さんは、ゲストと一緒に手巻き寿司を作ったり、地元の夏祭りに行ったり、居酒屋に飲みに行ったりした。
20年に始まった新型コロナウイルス禍で大きな影響を受けたものの、23年7月時点で18軒の民泊を運営している鳩子さん。副業で年収2000万円も稼ぐことができるようになった。22年10月には民泊を立ち上げるコミュニティ「令和の民泊サロン」を主宰し、初心者に民泊のノウハウを伝える活動もしている。
――オンラインサロンではどのような不安が寄せられますか。
「一番大きな悩みは『1軒目が見つからない』というものです。どこでやるか、どのようなやり方でやるか、家賃いくらの物件でやるか、皆さん順番に悩んでいきます。あとは全ての準備が出来たところで『本当にお客さん入ると思いますか』というのも、めちゃくちゃ言われます。『いやもうやるしかないですよ!』と言うしかないですよね(笑)」
――なぜ全ての準備が出来ているのに不安になるのでしょうか。
「私は世界一周で色々な場所に泊まってきたし、日本を訪問する観光客が多いことも知ってるんですね。でも、海外旅行に行ったり民泊に泊まったりしたことがない人は、自分が経験したことがないから不安になるんだろうと思います。だからサロン生には『Airbnbで泊まってみて!』と言ってますね」
島国の日本は海路か空路でしか入国できないため、コロナ禍のような事態になれば宿泊に大きな影響が出るリスクもあると、鳩子さんは指摘する。「だったら何かあった時のために、すぐに撤退できるように『小さく始めましょう』と言うようにしてます」と、リスク管理についても呼びかけているという。
「違う縁に飛び込んでいく」
――どうすれば鳩子さんのように行動できるようになるのでしょうか。
「多分ですけど、今の生活がそんなに差し迫ってないんだと思うんですよね(笑)ちゃんと会社に勤めてて、ちょっと不満はあるのかもしれないけど、そこそこ毎日楽しく過ごしている人は、お金や時間があっても、副業をやらないのかなと思っちゃいますね。
やっぱり何か差し迫った事情があったり、叶えたい自分のあるべき姿があったりするような強い思いがある人は、民泊とかでも立ち上げられることが多いのかなと思います」
――確かに差し迫ったものがなければ行動できないかもしれないですね。
「民泊をやることがゴールではなくて、それを通して、何か叶えたい夢や見たい景色が多分あるはずなんですよね。やっぱり最初は大変なんですよ。民泊を立ち上げる時期は大変なんです。面倒くさいなと思うようなことを乗り越えて、民泊を立ち上げていくのかなという気がしています」
――民泊のような新しいビジネスを見つける上で大事なことはなんでしょうか。
「私が民泊を始めたのは、世界一周に出たことがきっかけだったので、やっぱり自分が普段関わっているグループじゃなくて、今までなかった縁に飛び込んでいくことはすごく良い体験だったと思います。
ちょっと違う縁に飛び込んでいくと、全然違う生き方をしている人たちがたくさんいました。サラリーマンとは違う働き方をしている人に出会えたのは、すごく大きなカルチャーショックでした」
偶然の出会いから学ぶものが多かったと語る鳩子さん。当時出会った旅人たちと今でも一緒に食事に行くという。「会社以外のところで縁が出来た人たちは、それぞれの生き方をしていて、面白い生き方をしてる人が多いです」と話した。
ぽんこつ鳩子さん プロフィール
ぽんこつ・はとこ 商社勤務のフルタイムOL。民泊コミュニティ「令和の民泊サロン」主宰。副業で18軒の民泊を運営している。29歳のときに700日間の世界一周の旅に出る。2023年7月3日に新著『民泊1年生の教科書――未経験、副業でもできる!』(祥伝社)を出版した。