「週刊文春」2023年7月13日号・20日号・27日号で報じられた、木原誠二官房副長官の妻の前夫である安田種雄さん(享年28)の不審死事件について、安田さんの遺族が7月20日、警察に上申書を提出したことを、東京・霞が関の司法記者クラブでの会見で報告した。
会見で明かされた事件の経過によると、安田さんは06年4月10日、文京区大塚の自宅で遺体で発見された。警察は当初、覚せい剤の乱用による自殺と見立てたという。その後18年4月、警視庁捜査一課が安田さんの不審死事件について再捜査を開始したが、同年12月、安田さんの父は捜査の縮小を告げられたという。
以下は、会見で読み上げられた遺族コメント全文。
「私は、ただ真実が知りたいのです」
私は2006年4月に不審死した安田種雄の父です。息子が亡くなって、今年で17年になります。しかし種雄の死の真相はいまだに解明されていません。私は、ただ真実が知りたいのです。
種雄は中学に入学すると不良仲間とつるむようになり、暴走族に入ったこともありました。 高校時代からは雑誌モデルとして活躍していたこともあります。やんちゃな子でしたが家族想いで、約束は必ず守り、人情に厚く弱いものいじめだけはしなかった。そんな種雄は誰からも好かれ、地元の先輩や後輩にも頼られ、亡くなった今でも「種雄のためなら」とこの解明されない真相のために私たち家族と共に悔し涙を流してくれている子がたくさんいます。命日には花を送ってくれたり、種雄に会いに来たと言って、私と酒を酌み交わしたり、種雄の残してくれたものは計り知れないです。子供のころは厳しく育ててきましたが、友達に父親である私のことを自慢していたということを聞いた時には涙が止まりませんでした。種雄は私たちの大切な大切な息子です。
そんな種雄が結婚したのは、2002年5月のこと。種雄と同じように雑誌モデルをしていた女性と結婚し子宝にも恵まれ夫婦関係は良好でした。しかし徐々に夫婦関係が悪化し2006年には離婚の話がでていました。
「再捜査をお願いします」
2006年4月9日の事です。息子の携帯に電話しても出ない。いつもは必ず折り返し電話がくるはずなのにその日は折り返しもなく、私は少し違和感を覚えた記憶があります。
なぜかその日はいつもより2時間早く目が覚めた事もあり、連絡がつかなかった息子の事が気になり、貸していた車を返してもらうため夜中の3時頃に種雄の自宅へ向かいました。玄関の鍵が開いていたので中に入ることができたのですが、まさかそこで変わり果てた息子を見つける事になるとは思ってもいませんでした。
息子は血まみれで、眼を見開いたまま倒れていました。血は天井まで飛び散っており、右太ももの2~30センチ先には、細長いナイフがきちんと置かれていました。当時の警察は「事件性はないだろう。自殺だろう」と判断していました。でも種雄の傷は喉元から肺にまで達していました。自分をそんな風に刺したうえで、足元にナイフをきちんと置いてから絶命するなどということが果たしてあり得るのでしょうか?
離婚して自分が子供を育てていきたいと、子供たちを連れてくるからお父さんお母さん一緒に面倒をみてほしいと前向きに今後のことを語っていたのに、このまま種雄は犬死になって終わってしまうのか。私はずっと息子を信じています。
種雄が亡くなった時もまともに捜査されず闇に葬られ、諦め生きてきました。それが12年後に再捜査していただけると連絡があった時には心から喜びました。種雄の無念を晴らしてやると息子に誓いました。しかし捜査が始まり1年も経たないで捜査の縮小が告げられ、捜査1課の捜査班は解散され大塚警察署へと管轄がうつってしまいました。
警察に対する不信感があり捜査1課の刑事さんには最初冷たく当たってしまったこともあったのですが、私たち家族の思い以上に親身になってくださり今では感謝しかない。今月17日付で、大塚警察署長に宛てて再捜査を希望する上申書を提出しました。熱い思いで捜査に当たってくれた方々にもう一度仕事をさせてください。再捜査をお願いします。
また、テレビ局や新聞社の皆さまには、この事件に関心を持っていただき、広く報じていただきますよう、心よりお願い申し上げます。