岸田文雄首相が北朝鮮の金正恩総書記との首脳会談を目指して、両国間のハイレベル協議を呼びかけて1か月強。これに対応する形で、北朝鮮が日本に歩み寄っているとの見方が韓国で広がっている。北朝鮮が、改善が進む日韓関係や米韓関係にくさびを打ち込もうとしている、という見立てだ。
韓国の東亜日報は2023年7月3日、日朝の当局者が6月に2回以上、第三国で水面下で接触したと報道。松野博一官房長官はこの日の記者会見で否定したが、今回の件以外の日朝の接触については「今後の交渉に影響を及ぼす恐れがあるため明らかにすることは差し控えさせていただく」と述べるにとどめた。
首相発言の2日後に「両国が互いに会えない理由ない」
岸田氏は5月27日に開かれた「全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会」で
「首脳会談を早期に実現すべく、私直轄のハイレベルで協議を行っていきたい」
と表明。2日後の5月29日には、朴相吉(パク・サンギル)外務次官が朝鮮中央通信を通じて、拉致問題は「解決済み」だとする従来の立場を繰り返し、これまでの政権と同じアプローチでは「時間の浪費」だとした上で、一定の条件を満たせば協議は可能だとの見方を示した。
「日本が過去に縛られず、変化した国際的流れと時代にふさわしく相手をありのまま認める大局的姿勢で新しい決断を下し、関係改善の活路を模索しようとするなら、朝日両国が互いに会えない理由がないというのが、共和国(編注:北朝鮮)政府の立場である」
その1か月後の6月28日にも、さまざま解釈が可能なメッセージが北朝鮮から発信された。北朝鮮外務省の「日本研究所」研究員の名義で、日本政府が拉致問題に関する国連シンポジウムを開催することに反発する談話だ。談話では拉致問題について
「われわれの雅量と誠意ある努力によってすでに逆戻りできないように、最終的に、完全無欠に解決された」
とする一方で、
「『被害者全員帰国』が実現しなければ拉致問題の解決などあり得ないと強情を張るのは、死んだ人を生かせというふうの空しい妄想にすぎないということを日本は銘記すべきである」
とも主張した。
田中さんらの対応先行させる「段階的解決論」は受け入れられるか
日本側が「全員」にこだわらなければ北朝鮮側の対応が変わりうるとも読める書きぶりで、日本側は難しい対応を迫られそうだ。これまでに、少なくなくとも2人について北朝鮮で生存している可能性が指摘されているが、日本政府は事実上「黙殺」する状態が続いているからだ。
2人は、政府が北朝鮮からの拉致被害者として認定している神戸市の元ラーメン店員、田中実さん=失踪当時(28)=と、政府が「拉致の可能性が否定できない」としている金田龍光さん=同(26)=。2人が北朝鮮に入国したとの情報を日本政府が北朝鮮から伝えられていた、などと共同通信が2018年に報じて、22年9月には、北朝鮮との交渉に携わってきた斎木昭隆・元外務事務次官も朝日新聞のインタビューに対して同様の発言をしている。
ただ、政府は
「具体的内容や報道の一つ一つについてお答えすることは差し控えたい」
などと繰り返し、事実関係の確認を避けている。
拉致被害者家族会は、前出の集会の名称にもあるように「全拉致被害者の即時一括帰国」を主張。仮に田中さんらの対応を先行させるとすれば、いわば「段階的解決論」を採用することにもなり、家族会の理解を得られるかは未知数だ。
そんな中で出たのが冒頭の東亜日報の報道で、記事では
「北朝鮮はこのような(バイデン政権で米朝関係が進展しない)苦しい膠着状況で、何らかの局面転換のための『テストケース』として日本を活用したいと思っている」
との見立てを紹介している。
南北関係悪化も、北朝鮮が日本に接近する一因のようだ。22年5月に韓国で発足した尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権は、韓米同盟の強化や北朝鮮への強硬姿勢を打ち出した。23年に入ってから訪日も実現してシャトル外交が復活。日韓関係の改善が進んだ。同じ記事では、
「南北関係が硬直した状況で、日朝対話が韓国政府にとって好ましくないという指摘も出ている」
などと背景を説明。尹政権としては、日韓米の3か国が連携して北朝鮮に圧力をかけ、北朝鮮が自ら交渉のテーブルに出てくる構図を描いているが、
「北朝鮮が拉致問題の解決を望む日本を通じて、このような構想に亀裂を作ろうと試みる可能性がある」
ためだ。
松野氏は東亜日報の記事について、
「報道については承知しているが、そのような事実はない」
と答弁している。
「こういった場合、『ひとつひとつの交渉についてコメントしない』ということが通例だと思うが、今回は事実無根ということでいいのか」
という確認には、
「先ほど申し上げた通りだ」
とのみ応じた。
(J-CASTニュース編集部 工藤博司)