「何事も遅くない。始めるなら今が一番若い!」――36歳で筆を執り、45歳でマンガ家として初の単行本を発売したモトカズさんはこう訴える。大学を卒業してから「仕事人間」だったモトカズさんが商業連載を目指したきっかけは、息子と一緒にアニメを見る生活にあった。
J-CASTニュースは2023年4月中旬、モトカズさんにマンガ家を志した経緯を取材した。
「年齢に関係なくチャンスがある今の時代のお陰」
モトカズさんは、ライトノベル「いたずらな君にマスク越しでも恋を撃ち抜かれた」(作・星奏なつめさん、イラスト・裕さん)のコミカライズを手掛けた。学校一の小悪魔・紗綾先輩に翻弄される青春ラブコメで、連載するピッコマでは3万件を超える「いいね」が寄せられている。23年3月15日に単行本が発売された。
翌月7日、「誰かの背中を少しだけ押せれば...」と自身の経歴を紹介し、次のようにツイートした。
「先月、45歳で漫画家として初単行本を出版しました。
36歳でオタクになり絵を描き始め、38歳でコミケ初参加、43歳から商業連載を夢見て今に至ります。
年齢に関係なくチャンスがある今の時代のお陰ですね。
つまり何事も遅くない。始めるなら今が一番若い!」
モトカズさんは取材に対し、マンガ家を志した経緯を次のように説明する。
モトカズさんは、大学を卒業してから仕事に明け暮れていた。部門を任されるという重圧から、週に何日も会社泊をするような日が続いたという。忙しさから趣味も特技も持てなかった。業務内容も専門性が高いものでなかったため、いつしか心のうちに「器用貧乏ではく、何かのプロフェッショナルになりたい!」という思いが芽生えていた。
心身を壊し療養中に「趣味」ができる
34歳を迎え、ついに心身を壊して退職。療養期間は、当時4歳だった息子と過ごす時間が増えた。サブスク配信が盛んではない時代だったため、頻繁にレンタルビデオショップに足を運んでは、店に並ぶ児童向けアニメを借り、息子と一緒に視聴した。
「アニメのエンドロールに流れるたくさんの名前を見て憧れを持ちました。
音響、美術、監督... それぞれが専門性をもって一つの作品を作り上げている。
私もプロフェッショナルとして仕事をしてみたい!」
未視聴の作品が減り、何を借りるか悩むようになったある日、大々的にプロモーションされていた深夜アニメに目が留まった。
「大人向けのアニメか...」
人並みに幼いころからマンガやアニメを楽しんできたモトカズさんだったが、大人がアニメを楽しむことは「オタクっぽいな」と敬遠していた。しかし「きっとこの作品も様々なプロフェッショナルが集って作り上げられたんだろうな」と興味を持ち、息子ではなく自分のために手に取った。
「そこからは新旧様々な大人向けアニメを楽しむようになり、そのころ始めたツイッターでアニメの話題に触れることが日々の楽しみになりました。『趣味ができた!』そんな嬉しい気持ちを今でも覚えています」
36歳のある日、妻に「オタクになったみたい」と打ち明けた。妻はモトカズさんに趣味ができたことをとても喜び、受け入れた。人生で初めて趣味が充実し、心身も回復したモトカズさんは無事に再就職を果たした。プライベートでは、ツイッターでファンアートを描く人との交流が増えていった。
絵を描くという専門性に憧れを持ったモトカズさんは、自身も道具をそろえイラストを描くようになった。モトカズさんは当時を「絵心はありません。ただ、大好きな作品の絵をたくさん描いて同好の士と楽しむ日々はとても刺激的でした」と振り返る。息子も7歳に成長し、一緒に絵を描くことを楽しんだ。
やがて「同人誌」の存在を知り、同人作家として活動し始めることになる。
「希望の光が見えた瞬間、手が震えた」
同人誌とは趣味で自費出版する本を指す。同人誌が売買されるイベントは「同人誌即売会」と呼ばれ、国内最大級の規模のものは東京ビッグサイトで開かれる「コミックマーケット」だ。
モトカズさんはファンアートを通じた交流に魅了され37歳の冬、初めてコミックマーケットに出展した。そこからは定期的に同人誌を作り、即売会に持ち込んだ。「もっと絵が上手くなりたい!」という気持ちが高まっていく中、仲間内から商業デビューを果たす人も現れた。モトカズさんは「私にもこんな未来が、可能性があるんじゃないか」と感じ、マンガ家というプロフェッショナルを目標に据えた。家族も温かく応援してくれたという。
しかし決心を固めた直後、新型コロナウイルス感染症が拡大した。多数のイベントへの参加を見送り、先行きに不安を感じる中、あるマンガ雑誌の編集者からゲスト寄稿のオファーが寄せられた。
「プロフェッショナルへの希望の光が見えた瞬間、手が震えたのを今でも覚えています」
担当編集者と数か月の打ち合わせを重ね、商業雑誌に初めて読み切りマンガが掲載された。モトカズさんは仕事にも育児にも取り組みながら、兼業マンガ家としてプロデビューを果たした。
モトカズさんが活動を続けるモチベーションになったのは「好き」という感情だったという。プロマンガ家の道は厳しく、その後はなかなか連載に届かなかった。楽しかったはずの創作活動が辛くなる場面もあったが、再び好きなアニメのファンアートを描くようになって原点に立ち返った。
21年9月に誕生日を迎えたモトカズさんは、これまでを振り返ったツイートを投稿。ユニークな経歴がネットニュースで伝えられ、他のマンガ編集者からも声がかかった。翌年、その編集者からコミカライズのオファーが寄せられ、今に至る。
「一度は壊れた心身、一度は挫折した漫画家への道、これらを再び蘇らせたのは、『好きなものに没頭する』、そして『プロフェッショナルを目指す』この2つだったと振り返ります。そして、その支えになったのは、家族でした」
老いも武器「長く生きてきた分、多くの実体験や知見があります」
壮年でマンガ家になるという夢に突き進むモトカズさんは、「老いも武器」だと述べる。
「長く生きてきた分、多くの実体験や知見があります。
仕事の進め方やノウハウを含め、そういったものは職業として仕事をする上で重要です。
芸術家ではなく商業作家として作品を生み出していく、そういう感覚が確立していると計画的に物事が進められます。
同じ課題に直面した場合でも、クリアする方法を経験の中から最短ルートで選べます。
そういった強みを意識して活かしていけるように努めています」
モトカズさんが提供した9年ほど前に描いたとするイラストは、バストアップの少女を描いている。現在のイラストはキャラクターに動きが出ていて、陰影のメリハリもはっきりとしている。服の質感や髪のツヤなど細かな情報も表現されており、大きな成長を見せていた。
年齢にかかわらず何か新しいことに挑戦したい人に対し、モトカズさんは本当に好きなものを見つけてほしいと応援する。誰にでも好き嫌いや向き不向きはあるはずだとして、好きなことが向いているものであればきっと夢はかなえられると述べた。そして、人の力を借りるのも大切だという。
「何かに挑戦する場合、様々な方の力が必要になります。独りではできないことばかりです。今回の連載では担当者のご尽力がとても大きく、その存在にとても感謝しています。協力者を得ること、それもとても重要だと思います」
一方で年を重ねることで課題になるのは体力だとして、健康には気を付けたいという。
今後については次のように意気込んだ。
「連載が決まったとき、コミックスが発売されたとき、本当に嬉しく夢の様に感じました。ですが、いずれも"出来事"であって望まれる"成果"はまだ得られていません。
連載漫画を多くの方に楽しんでいただける、そしてコミックスを多くの方に手に取っていただける、そういった成果にはまだ遠く、未熟な自分に落ち込むばかりです。
『漫画家になりたい』『単行本を出したい』は、『結婚したい』と同じようにゴールではなくて出発点なんだなと強く実感しています。
これからは商業漫画家としてどれだけ多くの方に喜んでいただけるか、そして長く続けていけるかへの挑戦です。
その挑戦の先、目指すは『50歳で連載漫画のアニメ化』です!」
(J-CASTニュース編集部 瀧川響子)