「これらは広告会社の悪しき『文化』です」
noteによれば、対談を実施したのは22年12月1日で、田島氏と矢野氏の確認を終えて原稿が完成したのが同月22日だった。
間を置かずに広報室に確認を求めたところ、23年1月24日に一部表現の削除を要求された。小野氏は(1)利害関係、人間関係にまつわる忖度はある程度理解するが、そこに社会問題や犯罪がかかわる場合の忖度は不適切である(2)社外の方の発言であり著作人格権の侵害にかかわる問題である(3)削除したほうがリスクがある(話題になる)――の3点を理由に抗議したものの受け入れられなかった。
「もし、そのまま掲載してなにか問題が起きたら、自分がクビになることはまったく構わない。自分がとれる責任はすべてとる」と覚悟も伝えていたという。
議論は平行線をたどり、校了予定日が過ぎてしまった。発売が間に合わない恐れがあり、問題視された表現を言い換えるか、削除したうえで前述のように削除理由を付記するか広報室に判断を仰ぎ、後者となった。
小野氏は「広報室長は非常にまじめな方だと思います」「個人としての人格を非難するつもりはありません」と一定の理解を示しつつも、「まじめが故に博報堂およびビジネスパートナーへの配慮(忖度)に集中してしまい、社会や著作者・著作物に対する配慮(敬意)が後回しになったのでしょう」と問題の背景を分析する。
「ことなかれ主義、隠蔽体質、ブラックボックスでのやりとり。これらは広告会社の悪しき『文化』です。すべてが不正とは思いませんが、今回のような不適切なケースについては決定権を持つ上層部が先導してなくしていくべきだと考えます」と、今月号のテーマである「文化」という言葉を使い、会社の意思決定層の責任を指摘した。
その上で、「雑誌の発刊を優先し、削除要求に対する抗議・拒否を徹底しなかったことは僕の過ちです。矢野さんおよび関係者、世の中に対して心から謝罪します」とし、「博報堂のいち社員として、間接的にでも博報堂の悪しき慣習に加担していることを自覚したうえで、博報堂の善い部分が強化され、悪い部分が浄化されることを心から願います」と締めくくっている。