1982年10月に放送を開始した「タモリ倶楽部」(テレビ朝日系)が2023年3月31日深夜(4月1日未明)に最終回を迎える。
J-CASTニュース編集部は、番組の人気コーナー「空耳アワー」で「ソラミミスト」を務めていたイラストレーターの安斎肇さん(69)に、コーナーの歴史や裏話などを聞いた。
(聞き手・構成/J-CASTニュース編集部 坂下朋永)
ボツも含めると...作品数は5500本!
同番組では、外国語の歌詞があたかも日本語であるかのように聞こえてしまう現象を「空耳」と名付け、そのように聞こえる箇所を視聴者から募集。それに番組側が映像をつけて映像作品にした上でそれを放送する「空耳アワー」というコーナーが3月24日まで放送されていた。
安斎さんは1992年のコーナー開始から番組MCのタモリさん(77)と共に企画を担当。複数回の休止を挟みつつ、約30年の歴史を重ねてきた。インタビューで編集部がまず聞いたのは、投稿された空耳の選考過程だった。
――送られてきた空耳の選考はどのような行程で行われていたのでしょうか?
安斎:最初の頃、それこそ始まったばかりの頃は、「スタッフさんが投稿を元に実際の音源で確認」→「聞こえる+面白いかをスタッフさんが協議し数本を映像化」→「その映像を元にさらにスタッフさんが会議を開き、3本に絞り込む」→「収録直前に僕だけ音源のみ聞いて、そして、タモリさんと収録で初めて映像を一緒に見る」というものでした。その後、1年ほどしたら僕は事前に聞くこともなくなり、タモリさんと一緒にVTRを見ていたので、『横で座って見てるだけ』になりました(笑)。なので、コーナーで紹介するまでにものすごい労力を使っているのは空耳を見つけた人と映像を作った人です。
――そうだったんですね! ところで、3月24日には最後の空耳アワーが放送されましたが、そこでは、放送されなかった作品が約1500本あったことが明かされました。同日の放送では新作はもちろん放送されましたが、その一方でボツ作品も放送されましたね。
安斎:放送されたボツ作品ですが、僕は正直、面白かったです(笑)。空耳作品はこれまでに4000本以上が放送されてきたので、ボツ作品も入れると約5500本という膨大な本数のVTRが作られてきたんですよ。
「無邪気に『だって、聞こえたんだもん!』と笑うことが常に許される状況ではなくなった」
――2018年に洋楽に強いレンタルCD店として知られていた「ジャニス」の本店が営業を終了した際、視聴者からは音源の確認が難しくなるのではないかとの声が上がりました。実際、ジャニスの閉店以降、寄せられた作品の確認を行う際、スタッフさんは音源をどこで入手なさっていたんでしょうか?
安斎:ははは! 今の時代、ネットなど確認する方法は色々あるので、それほど難儀はしていなかったようです。
――となると、ジャニスの本店が潰れて以降、空耳アワーがパワーダウンしたのではないかとの声も視聴者から上がりましたが、これは、視聴者の気のせいだったと考えて良いでしょうか?
安斎:気のせいだったんだと思います(笑)。スタッフは常に全力でやっていたので。ジャニスの閉店は影響していないと思います。ただ、ジャニスは本当に品揃えが良く、便利だったみたいです。視聴者の皆さんは、本当にありとあらゆる楽曲から投稿してくるんですが、それでも、かなりカバーできていたようです。
――2020年4月にいったん空耳アワーが中止となり、その後は復活するも不定期な放送になりました。これはやはり、コロナで再現VTRが作りづらくなったからでしょうか?
安斎:それは理由の1つかなとは思いますが。ただ、他にもたくさんの理由があったんでしょう。いろんな要素が複合した結果、深夜番組のあり方が変わる中で空耳アワーの放送回数が減っていったのかなと思います。作品を見て、無邪気に「だって、聞こえたんだもん!」と笑うことが常に許される状況ではなくなったと言えば良いでしょうか。また、深夜番組の在り方が変わっていったというのは、タモリ倶楽部が終了する際の発表で、「役割は十分に果たした」という表現がなされたことにも表われているかもしれません。
投稿する際には「手ぬぐい希望」と書いてはいけない!
――賞品は手ぬぐい、耳かき、Tシャツ、ジャンパーがありますが、これを判定なさっていたのはタモリさんでした。この判定基準というのは......これはもう、タモリさんがどれだけ面白いと思ったかということでよろしいでしょうか?
安斎:まさにその通りです。ちなみに、投稿したハガキなどに、「手ぬぐい希望」と書かれていることはしばしばありました。これを書いた投稿者の気持ちは、恐らく、作品に対する謙遜の気持ちで書いていたんだと思います。しかし、これは非常にやっかいな点でして、タモリさんや僕がこのようなメッセージに気付いてしまうと、どんなに面白くても、賞品はジャンパーなどにはなることはなく、最も低い判定である手ぬぐいになってしまうんです(笑)。
――投稿者は「余計なこと書かなきゃと良かった」と思っているでしょうね。
安斎:ただ、これはそれなりに致し方ないことなのかもしれません。というのも、空耳作品って、結局は「映像のマジック」なんですよ。つまり、投稿段階では、その作品がどういう作品になるか、それこそ、爆発的な面白さを生み出す作品になるかどうかは投稿者には分からないんです。なので、「こんな作品、送っていいのかな?」という遠慮の思いで「手ぬぐい希望」と書いていた可能性は否定できません。そう考えると、やはり、作品におけるスタッフさんの活躍は実に大きいんですよ。
「空耳文化」は永久に不滅!?
――空耳作品って、本当に有名な楽曲であっても、「こう聞こえたんだ!」として投稿してくる方がいらっしゃいました。そして、実際、そのように聞こえる場合は決して少なくはありませんでしたね。そう考えると、空耳とはネタが尽きることがない文化なのでしょうか?
安斎:空耳って現象ですからね。言葉が存在する限り存在し続けると言うことが出来ると思いますよ。空耳とは「映像のマジック」ですから。それまでは聞こえなかったフレーズが本当にそのように聞こえるように錯覚してしまうため、新しく焼き直すことは永遠に可能なんだと信じてます。
――なるほど!
安斎:実際、「ザ・ビートルズ」の楽曲である「I Want To Hold Your Hand」の一節で、タイトルの通り「I Want To Hold Your Hand」というくだりがありますが、空耳アワーではそこに「アホな放尿犯」というテロップを出しつつ、あたりに小便をまき散らす人が描かれていました。あれは本来聞こえないですよね。VTRがあって初めて、「アホな放尿犯」が成立するんですよ。
――空耳アワーのコーナーは1992年から始まりましたが、安斎さんはそれ以前に、「外国語の歌詞が、あたかも日本語であるかのように聞こえてしまう現象」という意味での空耳は楽しんでいらっしゃったんでしょうか?
安斎:楽しんでいたわけないじゃないですか(笑)! 確かに、空耳アワーが始まる前から、ラジオ番組で「外国語の歌詞が、あたかも日本語であるかのように聞こえてしまう現象」が取り上げられることはよくありましたが、空耳アワーは、やはり、「映像をつけた」という所が画期的だったんです。人間、やっぱり、「絵の力」に引っ張られるんですよ。僕、本業はイラストレーターだから、やっぱり、絵が持つ「魔力」のすごさには気付いてしまいますね。
ネイティブ話者からツッコミが寄せられたことも
――今、本業のイラストレーターのお話が出ましたが、プリンスの「バットダンス」の歌詞が「農協牛乳」(歌詞としては「Don't stop dancin'」)に聞こえるという作品が放送された際、安斎さんは農協牛乳のパックのデザインに関わったことがあるとお話しされていましたね。
安斎:そうなんですよ。当時、僕が勤務していたデザイン事務所が受注したんです。僕が担当したのは「農協牛乳」という文字の角を整えたりして、フォントに丸みを帯びさせて見た目を綺麗にするといったアシスタントの作業を毎日毎日していました。だから、プリンスの「農協牛乳」に対してはものすごい思い入れがありますし、VTRを何度見ても笑ってしまいますね(笑)。
――空耳作品は英語以外の楽曲のものもたくさんありますが、この言語は空耳が多発しやすい、もしくは、このアーティストはたくさん発生する、といった傾向はありますか?
安斎:番組でタモリさんが、「メタルは空耳が生まれやすい」とおっしゃったことがありました。なので、タモリさんの言葉を受けて視聴者の皆さんが盛んに探したんでしょうけど、一時期、メタルの作品がすごく多かった時期があります。やはり、人間、絶叫すると、発音がうかつなことになっちゃうんですよ。先程話した「農協牛乳」も絶叫していますが、とてもではないですが、「Don't stop dancin'」とは聞こえませんし、英語のネイティブの方から「そうは言ってないんじゃないか」という意見が出たこともありました。
「自分としては、『ソラミミスト』は引退しました」
インタビュー終盤、安斎さんはタモリさんへの思いを語り始めた。
――1992年に始まった空耳アワーの長い歴史の中で、遅刻によって安斎さんがコーナーに途中から参加するという出来事が何度かありましたが、時間に遅れるとタモリさんはどんな態度になるのでしょうか。
安斎:小さな遅刻は数知れなかったので、スタッフはもちろんタモリさんも慣れてしまったため、少々の遅れでは大きなリアクションをなさることはなくなりました。ただ、2時間近く遅れてしまった際には、さすがに、「ちょっと、そこへ座りなさい」という展開になったことはあります。
――安斎さんが登場しない放送回もありましたよね。
安斎:実際、同規模の遅刻をして、結局は収録に行けなかったこともありましたからね。本当に申し訳ないことを何度もしてしまいました。なお、僕が行けなかった放送回では渡辺祐さんやマーティ・フリードマンさんといった代役の方が代わりに進行してくださいました。お2人を含め、代役を務めてくださった方々には、ただただ感謝です。
――今後、空耳アワーが特番として放送される可能性はあるでしょうか? 放送を望む声は非常に多いですが、いかがでしょう?
安斎:そう言っていただけるのは、めちゃくちゃうれしいです。惜しまれながらの最終回を空耳アワーは迎えられたわけですからね。実際、私の周りでも、「何とか続けてほしい」と言ってくださる方は相当数いらっしゃいます。ただ、実際に特番うんぬんの話は出ていませんし、空耳アワーはあくまでタモリさんあってのコーナーですから、「タモリ俱楽部」という本体がなくなってしまう以上、空耳アワーだけ残るというのは筋の通らない話なのかなと思います。なので、自分としては、「ソラミミスト」は引退しました。
――今後、空耳アワーの収録はなくなるわけですが、タモリさんに会う機会は今後もあるんでしょうか。
安斎:ないんじゃないですかね。それが一番さびしいです。収録がなくなると「会う口実」がなくなるわけですから、それは本当にさびしいです。それは同時に、スタッフさんと会う機会もなくなるということですから、こちらもさびしいです。ただ、音楽と映像を組み合わせた遊びという手法自体がなくなることはないと思うので、今後はそれを一視聴者として楽しんでいければなと思っています。
安斎肇さん プロフィール
あんざい・はじめ 1953年12月21日生まれ。東京都出身。桑沢デザイン研究所デザイン科修了後、麹谷・入江デザイン室とSMSレコードデザイン室を経てフリーのイラストレーターに。1992年、「タモリ俱楽部」(テレビ朝日系)のコーナー「空耳アワー」への出演を始め、2023年3月24日のコーナーの最終回で「ソラミミスト」を引退した。