静かだ。車を走行中、対向車が来ない。歩道で姿を見かけたのは1、2人だ。主要道路から脇に曲がると、すぐにうっそうとした山林に入り、慌てて引き返す。2月下旬の平日昼前、道端にはまだ雪が残っていた。
福島県葛尾村。福島市中心部から車で1時間ほどの山あいの村は、2011年3月11日の東日本大震災と、東京電力福島第一原発の事故で全村避難を余儀なくされた。一部で避難指示が解除されたときは、5年以上過ぎていた。震災前は1500人以上だった村民のうち、帰村したのは2023年3月1日現在、324人だ。その小さなふるさとを愛し、魅力の詰まった「ニュー葛尾村」を作り上げようと奮闘する人に出会った。
「参加してくれた人と、おしゃべりしたいの」
「そもそも『地域づくり』が何か、分からない。手探りのスタートでした」
葛尾村の活性化に取り組む下枝浩徳さんは、こう振り返る。震災翌年の2012年、コミュニティー支援を行う「葛力創造舎」を設立。初めは地域の人が抱える目の前の課題に対応していた。次第に、もっと長期的な視点で村を見なければならないと考えをシフトした。
キーワードは「つながりを作る」。その大切さを実感した出来事がある。避難指示解除前、村民が仮設住宅で暮らしている時期に「被災地ツアー」を企画した。地元の人に食事の準備を依頼。だが、反応は芳しくなかった。「お金をもらってお弁当を出すだけなんて、つまらない」と言う。
「参加してくれた人と、おしゃべりしたいの」
外からの訪問者との交流を望んでいたのだ。
「葛尾村の価値観はこれなんじゃないか」
下枝さんは感じた。ただ「つながる」には、対象が必要だ。そこで「自然、歴史、人」の3つを挙げる。それぞれを分かりやすく「見える化」して、いかに楽しい体験にするか。さらに、どう人を巻き込んでいくか。「つながりの村」をつくるための輪郭が、見えてきた。